ジェイルバード/カート・ヴォネガット

ウォーターゲート事件の巻きぞえを食って囚人の身になった主人公、ウォルター・F・スターバックの回想録という形で」*1語られる物語。
思い付いたことから片端にしゃべっているかのようなステップで時間のモザイクを描いてみせる、その語り口は見事としか言い様がなく、物語るということは、時間の流れを説明することではないのだということをあらためて考える。
そして、この主人公の造形もまた、ヴォネガットならではだと思う。例えばこんな言葉がある。

この自伝を書いていていちばん恥ずかしいのは、わたしが一度も真剣に人生を生きたことがないという証拠の数かずが切れ目なくつながっていることである。長年のあいだにわたしはいろいろな辛酸をなめたが、それらはすべて偶発的なものだった。わたしが人類への奉仕のために自分の生命を賭けたことは、いや、自分の安楽を犠牲にしたことさえ、一度もなかった。みっともない。/p247

せつない。意志と心はえてしてひとつになれないものであって、そのどちらもがふたしかだからこそ、好悪のような感覚に流れる。
中盤、主人公がかつての恋人、メアリー・キャスリーン・オールニーと再会するところから、物語はがぜんアップテンポになる。そして彼は、彼女の言葉によって赦される。
赦されることで、彼は変わるだろうか?
わからない。その後も相変わらず、易きに流れているようではあるけれど、回想の終わりにはとても味わい深いものがあって、私はこの小説の半分も理解できたかわからないけれど、彼が繰り返す「長生きは勉強になる!」そのひとことを信じて、いつかまた、と本を閉じた。

*1:あとがきより