考え中

なんか上に書いた本の感想が、そんなつもりはないのにやたら湿っぽいような気がしたのでバランスをとりたいと思うのだけど、まったく何も浮かばないので、最近考えていることをダラ書きしてみます。ええと、今はとにかく旅行にいきたいです。オープンチケットでいたいだけ向こうにいるという旅がしたい。とはいえ、たぶん三か月くらいで満足できる気がするので、できれば半年働いて半年休む生活だったらいいのにと思うんですけど(のこり三か月はぼんやりします)、仮にそれが可能だとしても半年ぶんの給料で食べていけるかというとそれもきびしいので、だったらせめて、年に一か月くらいはまとまった休みがあればいいのにノと思います。そういえば昔、タイで出会ったフランス人のおじさんは、フランスだと一か月休みがあるの珍しくないよ、みたいなことをいっていたのですが、よく考えたらなんで私はフランス人のおじさんと会話できたんでしょうか。結構長いことしゃべってた気がするけど、フランス語は全くわからないから、たぶん英語で話したんだろうな。英語はまったく得意じゃないけど、ある程度の期間英語ではなし続けていると、なんとなく単語が浮かびやすくなったりするので不思議です。そのあたり、もしかしたら言語の切り替えスイッチみたいなものがあるのかもしれない。聴覚より視覚の方が印象としては強い気がするけど、会話においては視覚より聴覚の方が頭と密接に結びついているような気がする。いや、聴覚というより言葉の出し入れを同時に行っている感じはまた別の感覚のようで、それはもしかすると文章を読んで理解するよりも、速い反応かもしれない。なんでだろう、ということを考えながら眠りたいと思います。

おきて

↑よく考えてみたらここで「視覚」ていってるのは文字媒体のことで、でも言葉というのは文字より音の方が先にあって、しかしその音も視覚に助けられて理解されるというとこを忘れていた。ともかく文章を書いているときですら、どこか声で考えているようなとこがある。むかし小学校だかのときに黙読しながら頭の中で声だしてるから遅いのよ、みたいなことをいわれたことがあるけれどみんな黙読は音無しなんだろうか。それはまた今度考える。