昔話/電車

今朝、飲み物を買おうとキオスクを覗き込んで、ふと、隅っこにボンタン飴が並べてあるのに気づいた。まだあるんだな、なんて視線を戻しながら、あの首筋がぞっとする感じを思いだす。

子どもの頃、おじいちゃんおばあちゃんの住んでる家に行くとかで、わりと定期的に、母さんと電車で出かけていた時期があった。弟が一緒にいたから、私が小学校に入りたての頃だと思う。
O線の青いシートに並んでいるときは、あちこちを見る余裕があって、楽しかった。立て膝で窓の外を覗く。流れていく町なみ、緑、遠くの煙突が、2本、でかいボーリングのピン、空き地の真ん中におかれたマネキン、鉄橋、川、川原で釣りしたり走ったり野球したりの、人人人、そして駅。私が嫌なのは駅だった。駅に着くたびシートに座り直し、母さんの服をつかんだりした。
それでもたまに、母さんは私をおいて、ひとりで電車の外にでていってしまう事があった。今思えば、あれは各駅と急行の待ち合わせとか、そういうんだったってわかる。でも、私は母さんが、いちかばちかの賭けをしてるみたいに感じた。電車がとまって、発車するまでに戻ってこれるかゲームみたいなものなのかと思っていた。
「お菓子買ってきてあげるね」とか、言われるたびに、ぞっとした。けど、ベビーカーに乗った弟をおいていくわけにもいかず、私はハラハラと窓の外の母さんを目で追いかけた。
そんなとき、母さんが買ってくるのはきまってボンタン飴だった。一度、思わず「いらないよそんなの」といったら、ひどく傷ついた顔をしたので、ああ意味が間違って伝わってしまったと、たぶんあのときはじめてそういうことを思ったような気がするけど、それでも母さんは、毎回ボンタン飴を買ってきた。そういう人なのだ。買い物で迷わないというか、同じものばかり買う。ホームパイとか、歌舞伎揚げとか、卵豆腐とか。誰も食べなくても、母さん自分で食べるから。でも、あの「いらないよそんなの」は、ボンタン飴がいらないっていうんじゃなくて、ただ置いてかないでよっていう、ことだった。

そうか、そういうの、子どもの頃からうまく言えなかったりするんだなって、思う。思いながら、飲み物の代金を払い、振り返ると電車が滑り込んできた。吐き出される人々は、どれも知らない顔ばかりだ。なんとなくそれには乗らず、あのとき、電車の中から見つめた、母さんの背中を思いだしていた。
プラプラとのんきそうに歩き、時折立ち止まっては何か(たぶん時刻表だろう)見たりしてる。その背中を追いかけながら、もう、はやく走ってよ、と祈った自分の切実さを、思う。
そして、その心配の仕方はかわるけれど、大切なものがあるというのは、ああいう気持ちを持つ事でもあるんだよなーとか、思ったりした。
うん、まとまらないので、続きはまた今度。