定食屋にて

定食屋で、焼き魚定食を食べていた。イサキの塩焼きだったと思う。ピンと伸びた尾にまぶされた、塩の粒。皮を割り、身に箸を入れると、いいにおいがみそ汁の湯気に混じる。ズッ、ハァー。ぐるりとあたりを見回すと、後からくるひともみな「焼き魚定食」を頼んでいる。「定食、ライス大盛りで」「こっちも」
イサキっておいしいよねえ、と誰かが言う。私はサバのが好きだなあとか思いながら、でもイサキもおいしいけどねと付け加える。1人で、私は定食屋の小さな椅子に腰掛けていて、ご飯に手を伸ばす。
ご飯のことを、私はライスと言うことが多い。

それは、例えば「ご飯ある?」と訊くと、うちの母親は、「肉じゃがあるよー」などと答えたりするからだ。けれど、それはおかずであって、米を炊いた「ご飯」のことじゃない。私は米を炊いた「ご飯」が好きなので、料理前や食事前に「ご飯」の有無を確認することが多いのだけど、ご飯というと求める答えはまず返ってこないし「米ある?」と訊けば「こめびつみてよ」と言われるだろう。だから私は、「ライスある?」と訊く事になる。

「ライスを忘れないで」
顔を上げると、はす向かいの席に、夫婦だか親戚だかいまひとつピンと来ない、雰囲気のよくにた中年の男女が座っていた。
「ライスのめばだいじょうぶ、小骨なんて気にしなくてヘーキだから、ほら、ライスあるでしょ、飲みなさいよ。塊ごと飲み込むの。そ、そうすれば小骨とれちゃうから」
おじさんの方が,ぎこちない手つきで茶碗を持ち上げ、ひとくち頬張ると普通に咀嚼をはじめた。
「だめだめ、噛まないでのみこまなきゃ」
「そんなんくるしいだろうがよ」
「小骨気になるんでしょ、ライスはダイジョーブよ、柔らかいし粒だからひっかかんないから」
そう説得しながらも、おばさんはどんどんイサキをほぐしては口に運ぶという作業を繰り返していた。
盗み聞いていた私は、おばさんが「ライス」に至った経緯について考えていた。私のそれは、たぶん人に伝えるための「ライス」なんだと思う。たとえば定食屋に入って、「ライス大盛り」などと頼むのも同じ事なんじゃないか。炊いた米だけをさすものとしての「ライス」。でもやっぱり、頭の中では、ご飯はご飯だ。
だから、ご飯と言ったときに、ちゃんとご飯と伝わる安心があれば、わざわざライスなんて言わないんだろうなぁ、などと考えながら、ためしにご飯をひとくち飲み込んでみると、こころなしか胸がすくような気がした。
それにしても「ライスを忘れないで」というのは、名言だなあと思う。味わう程に深みを増すような、ご飯の甘みのような、さ、なんてつまんないおちが思い浮かんだところで、おじさんがうれしそーに
「あ、とれた」と言った。