ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを

ローズウォーター家の莫大な財産を相続したエリオットは、いろいろあって、その金を貧しい人たちに分け与えている。困ったことがあったら、彼に電話をかければいい。「ローズウォーター財団です。なにかお力になれることは?」
エリオットの行動を、彼の父親はアルコールのせいだと考え、精神分析医は病のせいだと言う。もしくは宗教の、あるいは社会主義のせいであると。そして、エリオットは様々なカテゴライズから、逃げ回っているように感じられる。
気が向いたなら、贅沢三昧の暮らしも地位も、なんでも手に入れることができるのに、なぜ貧しい人々に金を分け与えるのだろう? 彼にそう問う人々のなかには、その問いが自分へと切っ先を向けていることを分かっている人もいる。

「エリオットが“愛”という言葉に対してやったことは、ロシア人が“デモクラシー”という言葉に対してやったこととおんなじさ。もしエリオットが、あらゆる人間を、相手が何者だろうと、相手がなにをしていようとおかまいなく愛するつもりなら、われわれのように特定の人間を特定の理由で愛するものは、新しくそれ専用の言葉をみつけなくちゃなるまい」上院議員は、亡くなった妻の肖像画を見上げた。「たとえばだな――わしは家内を、いつもうちにくる屑屋よりも深く愛していた。だが、それだと、わしは現代の最もいまわしい犯罪に問われることになるんだ――サベツイシキというものにな」p101-102

愛するということは、分け隔てることである。確かにそうかもしれない。そしてエリオットの妻シルヴィアは「わたしは強い人間でも、よい人間でもない」といって、「医学的な理由」から彼のそばを離れることになる(p84)。彼女とエリオットが電話で話をする場面はとても切ない。強さとはなんだろうか? 善いとはどういうことなのだろうか。エリオットはそのどちらでもないのではないか。
世界は不公平で、世界はほんとうにままならない。人間を、人間だから大切にするという理由と方法を見つけるために、むなしさという命にかかわる病の治療法をみつけるために、一体なにができんだろう。
「世に棲む 生きとし生けるものすべてが、自由に、平和に平等に、美しく明るく楽しく暮らせる、幸福と善意と優しさと愛に満ちた……世界を……要求する!!」(『ザ・ワールド・イズ・マイン』3巻)という要求に、答える方法はないのだろうか。
精神科医は、エリオットがその性的エネルギーを「ユートピア」に向けている、と語った。「ユートピアは存在しなくともめざすべき世界であることに間違いはない」(『ザ・ワールド・イズ・マイン』3巻)とユリカンは言った。
ユートピア」を目指すために、エリオットが見つけた方法はこうだった。

「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。 なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積っても、せいぜい百年ぐらいさ。 ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、いいかい――なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」p146

世界樹の迷宮ってゲームをやってたとき、メディック(回復担当)にエリオットって名前をつけていた。それはこの物語に登場するエリオット・ローズウォーターのイメージだった。回復呪文をいくらとなえても、しかしパーティは戦闘に繰り出す。そんな終わりなしのイメージだ。