喉元すぎてった

先日、元同僚と飲みにいった。私と彼女は小さい会社に同期入社して、最初に面接で言われた待遇全部覆されてなんだかんだ諸々あって、で、結局そこをやめて今は別々の会社で働いてる。当時は、ほんとに、しんどかったなー、と思うけれど、そんでも、それから2年以上経った今は、一緒に働いてたときのことを笑って話せるようになった。というか、しんどい部分はもう影になっていて、思い起こされるのは楽しかったことのほうがずっと多い。これが喉元すぎれば暑さを忘れるってやつなのかもしれないけど、だったらそれってすばらしい能力なんじゃないかと思う。
学生時代なんかは、ほんと小さなことでいつまでもくよくよしていたし、理不尽さに対するイライラや、穴があったら入りたいような恥ずかしさは、ずっと追いかけてくるもんだと思ってた。
でも今は、自分でもちょっと心配になるくらい、よかったことばかり思い出す。あんなこともこんなこともそんなこともあった。だから大丈夫だなって思いながら眠るときの方が多くて、まーなにが大丈夫なんだかよくわかんないけど、寝ぼけてるからそのへんも曖昧でよくて、とにかく、
どんだけ用心してたって構えてたって、くるものはくるし、こないときはこない。だったら心配してるより、安心してる方がずっといい。

例えば、むかし、飲んだ帰り道に電車乗り過ごして隣の県まで行っちゃって、お財布の中にあった5000円握りしめて「これで行けるとこまでいってくださいっ!」てタクシー乗った時に、タクシーの運転手さん「夜中だしさー」って4900円とかでメーターとめて家まで送ってくれたこととか、
友達が買ってきてくれたドーナツの箱あける瞬間の気分とか、
いつかの夏の日のビールとか、
猫が顔を覚えてくれた、よーな気がする瞬間とか、
なんかちょっと、って気分のときにかかってきた電話のこととかね。
何度も何度も思い返すのは、やっぱり良かったことや、面白かったことの方で、そういうのはたぶん、どこで一時停止ボタンを押すかってことなんだと思うけど。

子どもの頃、ポリアンナの「よかった探し」って言葉を聞くたびに、なんだか気恥ずかしくなったりしたものだけど、でもあれにはやっぱ一理あったのかもなー、でも実際ポリアンナに会ったらやっぱちょっと照れくさいかも…とか、今日一日はそんなことを考えていました。