お見舞い日記


つくばエクスプレスにはじめて乗った。母さんと妹はDSでお絵描きしりとりをしていて、私は妹側のを見ていた。コアラ、ラッパ、と続いてパ、母さんが書いたのは白黒の旗みたいなものと何かの四角で、「旗だしパレードじゃね」と言ってドを考えはじめたところで「パリよパリ」と注釈が入った。四角いのは凱旋門とのことだったが、そもそもフランスの国旗は3色じゃん、と言うと「だってDS白黒なんだもん」と言う。うん、しょうがない、と、改めてリを考えていると、続けて焼き芋みたいな絵を送ってきて「いまのなし!」と手を振る。「ンついてた」「え、焼き芋じゃないの?」「パンよパン」
そんな具合にお絵描きしりとりはなかなか盛り上がって、だから終点まではあっという間だった。さすがエクスプレス。と3回くらい言った。

駅をでると、伯父さんが迎えにきてくれていた。「マンゴーを忘れてきたから家に寄る」とのことで、着いたのは見覚えのない団地だった。幼い頃自分が預けられていたあの家にはもう住んでいないのだということに今更気づく。茨城には、祖父母も住んでいるので、伯父さんちには長らく行っていなかった。車の外では、マンゴーを持ってきてくれた伯母さんを捕まえた母親が袋から洋服を出してあれこれやっている。ピンク色の大きなシャツを、これどう? とすすめるが、伯母さんは「そういうのあるから、いいから」と明らかにいらなそうで、でもそれも見なれた光景のような気がした。

「ああいうの濡れ落ち葉っていうんだよね」と、走り出した車の中で伯父さんがいったのは祖父のことで、今日見舞いにいっても、母さんはどうしたとしつこく聞くだろう、でも今日は母さんは休憩させて、見舞いには我々だけでいくのだと、そういう話だった。「ようするに母さんを頼りきりなんだよな」と伯父さんは言うけれど、例えばうちの父親がそうなるところを私は想像できない。でも、伯父さんがそうなるところは、なんとなく思い描ける気がする。濡れ落ち葉、という単語がなんだか印象に残った。

しかし病室にいた祖父は思ったよりもずっと元気そうで、「今日は母さん休みだからね」といった私の母さんの言葉も納得済みのようだった。それには構わず伯父も母も祖父も、たぶんこの家族特有の玉入れみたいな会話を、つまり全員の言葉を投げあいまくってたまたまカゴにたまってくみたいな、忙しい会話を続けていて、私も妹も、これまたいつものようにぽかんとそれを見ていた。
剥いてきたマンゴーを食べ、土産にもってきたサブレをいただいて、時間が差すたびにもうちょっといいだろと祖父は言う。そんなふうに、夕食の時間まで病室で過ごして、それじゃあまたきます、とそこを後にした。

帰り道には、地元の美味しいパン屋さんというのに寄って、長いパンを妹と私と母と伯父の4人で分けて食べた。もうだいぶ暗くなったパン屋の店先で、この4人でいるというのはもしかしたら初めてかもしれないなぁと思う。パンはおいしかった。それから、私と妹の顔を交互に見比べる祖父の顔を思い出し、今日は来て良かったなと思った。