「回送電車」/堀江敏幸

回送電車 (中公文庫)

回送電車 (中公文庫)

堀江敏幸さんの文章を読んでいると、使い込まれた肌なじみの良い木材に触れているような、静かでまっすぐな気持ちになる。
読んでいる途中で書いた「ジョセフ」という小説のことについても*1、私の抱く感想と堀江さんの書くそれはわりと異なったものなのだけど、それでもすんなりと、なるほどと相槌を打てるので気持ちがいい。
予防線をはるようなこともなく、このようにフラットな文章が書けるのは堀江さんの特別なのだろうけれど、私がそう感じるのはなぜなのか考えてみると、シンプルなようでいて、とらえどころがない文章であることがわかる。
そして改めてページをめくり、この本のタイトルとなっている「回送電車主義宣言」こそが、作者の文章をあらわすのにぴったりだったのだと知る。そのように、自らの文章に対してすら、「見る」ことに優れた人なのだと思った。

この「回送電車」はさまざまな媒体に掲載されたエッセイを集めたものだ。以下いくつか印象に残ったところをメモ。

かすかなコミュニケーションが成立するときにだけ輝くあたたかい燈火の、具体的な手応えとでも言うべきか、それ以前にふたりがどのような関係にあり、またこの先どんな結末を迎えようとも、手紙を介してむきあっている二者のあいだに誰にも切断できないやさしくしなやかな糸の張られた瞬間が、みごとに描きとめられている。
破滅を導く無鉄砲な逃避行でも激しい肉の交わりでもない、山の神さまがつける口べにのような、すぐにも消えてしまう朱色の相互理解こそが真正の恋なのだ、と私は思うのである。

これは和田芳恵「おまんが紅」という小説について書かれた文章なのだけど、恋の定義についてはともかく、今後私が「かすかなコミュニケーション」が成立するときの、ささやかな光のようなものに触れることがあれば、「山の神さまがつける口べに」のことを思い浮かべるのだろうなと思った。
それから、ヘッセの描く水彩画について書かれた「電信柱の教え」という文章に引用されていたコリン・ウィルソン

ヘッセは彼自身の人生問題を、紙面において見ることによって解決しようとする欲求にとりつかれて創作する。

という言葉には、ヘッセの、特に「荒野のおおかみ」という小説の魅力が凝縮されているように感じた。するとこの文章で堀江さんが書いているように、ヘッセの水彩画に対する気持ちもピントが合うというか、なんだかつられてわかったような気分になってしまうのだった。
それから、この本のなかでもっとも気に入ったのが、最後に収録されている、谷川俊太郎さんの「みみをすます」という詩についての文章だったのだけど、「昨日の雨だれ」に耳をすますということを、誰もいない映画館で見た「2001年宇宙の旅」の思い出と重ねているということにぐっときてしまった。これは「感想文」ではないけれど、私の思い描く感想文の理想のひとつがこの文章であるように思った。