頭の中と偶然

天気の良かった日、もらった種を植えるためのこまごまとした買い物をしに出かけたものの、目当ての店が潰れていたのでそのまま喫茶店に入り、読みかけの本を開いた。長い、続きものの小説で、前の巻が出た頃のことを思い出してすこし悲しくなる。何を見ても何かを思い出し、嬉しくなったり悲しくなったりするけれど、そのほとんどは過ぎ去っているというのがいちばんの、悲しいことかもしれないなと思う。
などという私のだらだらとした話を好んで聞いてくれた人がかつていたのを思い出す。その人は私が何かを見て、眉をひそめたり、にやけたり、泣きそうになったり、吹き出したりするたびに、その理由を聞きたがった。そのくせ、自分の表情の理由についてはけして説明しようとしない人で、とはいえ、いつもにやにやと笑っているから、はじめて寝顔を見たときはその静かな顔が新鮮だった。
それは確か飲んだ後に、もう電車もないし眠いしで家に寄らせてもらったときのことだった。用水路沿いの道で猫とすれ違い、おもむろにかばんから鰹節を取り出したのをよく覚えている。なんで鰹節なんて持ってるの、と聞くと、おいしいからだと答えた。眠くていらいらしていた私はそれ以上質問しなかった。

あれはどのくらい昔のことだっけ、なんて考えながら小説を読んでいてもちっとも集中できず、諦めて本を閉じる。まだ外は明るいけれど、時計を見ると18時少し前だった。18時少し前でまだ明るい、ということに気分を良くして、喫茶店を出る。
帰宅するかどうか、特に考えずに駅前の大きな横断歩道を渡ろうとしたところで、すれ違った顔を、信じられないような気分でまじまじと見た。それから笑って、大慌てで横断歩道を渡りきった。
相変わらずのにやにやした顔で、右肩をちょっと上げて、なにしてんの、と言う。その様子は、懐かしい、というより、頭の中から沸いてでてきたようだった。
どこから手をつけていいか良くわからずに、とりあえず、ご飯食べようと言った。そうだねって、歩き始めたところで、そういや鰹節好きだったよね、と言うと「何それ」と笑われた。
GWにはそんなこともあった。そこで話したことは、また今度思い出す。