父さんの富士山

地元の駅がまだ古い駅舎だった頃、改札を通った突き当たりにある窓からは、線路越しに富士山を見ることができた。
晴れた日にはよく、まだ自動ではなかった改札をくぐった先に父の背中を見かけたものだ(駅までは別々に行っていた)。「何してるの」と声をかけたことはたぶんない。家の外では、目が合っても苦笑いで目をそらされるのが常だったし、だからそのまま私は電車に乗って、学校に向かった。父さんが何時頃会社に行っていたのかはわからないけれど、返って来るのはいつも終電間際だったから、あの頃すごく忙しかったのだろうなと今になって思う。
父さんはとにかく富士山が好きで、いつだったか家族で旅行に行ったとき、富士山をビデオカメラで数時間、定点撮影していたこともあった。山を。動画でだ。でも誰も突っ込まなかった。父さん富士山好きだしね…というのは家族内で暗黙の了解だった。
父はいつも、ふらっとどこかへ行ったかと思うと、端っこの方で富士山を探していた。

最近、富士登山がブームだというので思い出したのだけど、いつだったか父さんに「富士山に登ったことあるの」と訊いたことがある。「頂上とかきれいなんだろうね」なんて言っていたら、かえってきたのはまたしても苦笑いだった。
「富士山は見るのが好きなだけで登りたいと思ったことなんてない。登ったら見えないし」と、父さんは言った。「富士山は近くに行かなくても見えるのがいいんだ」とも言っていた。
それを聞いた当時はよくわからないなーと思っていたんだけど、もしかするとあれは、父さんの「一服」みたいなものだったのかなと思う。休憩するのにはなんとなく口実が必要で、そんなとき「富士山見てた」というのは、それがどこからでも見えるという点で便利だし、というのはいかにも父さんらしい。
富士山を動画で撮っていたのはきっと、曇っている日用だと思う。

今度富士山中のところを見かけたら、訊いてみようかと思います。

ところでもうすぐ朝霧ですね。晴れますように。