「そして夜は甦る」/原寮

そして夜は甦る (ハヤカワ文庫 JA (501))

そして夜は甦る (ハヤカワ文庫 JA (501))

おすすめしていただいて読みました。
原寮さんの小説は「私が殺した少女」を読んだことがあるだけで、それも確か中学生位の頃、村上春樹がチャンドラーを好きだと知る→チャンドラーを読む→何かの雑誌特集でチャンドラーと絡めて原寮さんが紹介されているのを読んで読む、という流れだった気がします。そういう風にあれこれ調べて本を読むってことを最近あんまりしなくなったけど、
それだけ昔の話ですっかりあらすじは忘れてしまっていても、「私が殺した少女」がすごく面白かった記憶だけは残っていて、この「そして夜は甦る」を読んで久しぶりに、ああそうだこういうかっこいい話だった、と思い返すことができて、とても楽しい読書でした。がっちりと噛み合った筋書きの面白さはもちろん、何といっても探偵「沢崎」を読めるというのが魅力だと思う。

巻末に「あとがきに代えて――一つのハードボイルド論 マーロウという男」という掌編が収録されているのですが、ここにある

「“男はタフでなければ生きていられない、やさしくなれなければ生きる資格がない”だったかな。彼のこの科白なら聞いたことがあるでしょう」
(略)
「最初に“男は……”ときみは言ったが、もしそれが本当なら、その部分はあまり信用できないな。そういう感慨には男も女もないはずだ。一人前の女なら、やはりきびしくやさしく生きている」
「そう言われてみると……そう、おそらく“男は……”というのは、誰かが勝手に付け足したもので、もとは単に彼自身がそうだという科白にすぎなかったようだ」

このような、徹底的にフラットな、厳しい視線こそが探偵「沢崎」の魅力でもあり、作者にとってのハードボイルドの根幹でもあるのかなと思いました。

「詮ずるとこころ、この世の中は経験がものをいう。そうじゃないかな。きみは探偵の仕事を始めて何年になる?」
「十一年です」私は答えた。
「経験が邪魔になることを知ってから七年になる」p22

このやりとりが最高にかっこいい。「私が殺した少女」も読み返してみようと思います。

ところでこれは1988年に発行された本なので携帯電話が出てこないのだけど、生まれたときから携帯電話があった人が読んだらどう思うんだろうか。時代小説を読むのと同じように「そういうものだ」と感じるのかは少し気になりました。