「ヤング≒アダルト」


主人公がたびたび見せる、ふとした瞬間の真顔が印象的な映画でした。あれは「なにやってんだろ」感というか、劇中で説明される「どんな表情したらいいのかわからない」感じに近いんじゃないか。
大人になるというのは、そのような「なにやってんだろ」感をうまく無視することなのか、それとも“これをやっているのだ”と胸をはることなのか、そもそもそんな真顔になる隙もないことをいうのか、よくわかんなくなっちゃった主人公が、何を思ったか「赤ちゃんが生まれました」メールを送ってきた元カレのもとに押し掛け、彼とよりを戻せると信じ込んであれこれする話。
相手は自分に気があるはずだと思い込んだ行動が空回りしてる様子とか、思い出話をしても元カレの方はさっぱりピンと来てない感じとか、そのくせ学生時代のいじめられっこやホテルのフロント係に対する失礼な態度とか諸々、見てて本当にいたたまれない気持ちになる映画でした。
でも、彼女のあの振る舞いは、真実に直面することを避けているという側面はあれど、あれはあれで彼女が生き残る方法でもあったんだろうなと思う。
冒頭に彼女が繰り返しかける Teenage fan club の「The Concept」は(ああやって思い出の曲を1曲リピートする様子っていうのはぐっとくる)、かつては元カレが彼女を称した曲だったのだと思うけれど、彼女は「どこへ行くにもジーンズをはいてる」女の子じゃなくなったところを見せようと(とにかく谷間を強調する作戦からの品の良さへのシフトチェンジなど)していたし、つまり彼女は「あの頃の自分は最高だった」といいつつ、あの頃に戻ろうとはしてないんじゃないのかな、と思いました。

ラストの寸前まで、最後は彼女なりに何かを学んで成長し、それを職業であるヤングアダルト小説に活かすのだろうなと思っていたのだけど、結局そんな描写はなく、彼女はラストシーンでまたあの「なにやってんだろ」って表情を見せる。この、ここからどうなるかを見せない物語の幕引きはいいなと思うんですけど、でも1回くらい、彼女が心底嬉しそうな顔をするのも見たかったなというのが正直な気持ちです。
音楽の使い方とか(もうやめてーってくらい聞き覚えのある曲がでてくる…)ヌーブラとか、小道具の使い方も気の利いてる映画だったけど、ヤングアダルト小説の使い方にはちょっと疑問を持ちました。「吸血鬼?」って問われて鼻で笑ったりするシーンがあったけど、せめてそれを書いてる主人公にはそれを大事にしててほしかった気がする。

余談

ところで先日読んだ「ここは退屈迎えにきて」とこの映画には共通点がとても多い。
国道沿いのファストフード、かつてのクラスの人気者男子、90年代、人の噂がすぐ巡る田舎町。主人公の「成長」を目的としていない物語構成にも近い印象があるのだけど、「ここは退屈迎えにきて」は場所と人間関係の閉塞感が印象に残るのに対し、「ヤング≒アダルト」の場合は主人公の視点に閉塞感を感じる、というところが全然違うなと思いました。
ともあれ、どちらか一方が印象に残っている人にはもう一方をおすすめしたくなる共通点のある作品です。
感想 → http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20121011/p1