鈴の音

初詣で買った、目が飛び出るだるまのついた鈴かざりを自転車の鍵につけている。自転車の鍵に鈴をつけるのは小学生の頃以来で、自転車を走らせながら、かすかに鳴り続ける鈴の音に思い起こされることは多く、
例えば初めての自転車は裏に住むNさん家の男の子からのお下がりであったとか、小学3年生の頃には仲のよかった3人お揃いで買った鈴をつけ、その鈴はタイムカプセルに入れて埋めたまま、工事で撤去されてしまったとか、その3人のうち1人とは未だに年賀状のやりとりをしているけれど、もう1人は元気だろうかとか、そこからずっと先にもどって、ついこの間もどこかで目が出るだるまをみたっけとか、チリチリとなる鈴の音に耳をすませていると、まるで柔らかな記憶のゼリーにゆっくり沈んでいくような心持ちになる。
先日見た「フラッシュバックメモリーズ」という映画の中にあった、会話というのはほとんど記憶から成り立っている、ということについてまだ考えているのだけど、会話だけでなく、何を見ても何かを思い出す、という状態になることは時折あり、するとやがて、私の思いでという名前の物体に自分の納まる場所がないというか、ゼリー状のそれからはじき出されてしまったように感じる瞬間が訪れる。
表面から覗き込むその中身は、自分の記憶から物語やら夢やらがごっちゃに漂っていて、
例えば、人ごみに埋もれる山車を遠くから眺めているような、懐かしいけれど遠く、自分はそこにいないのだなという光景を思い描くときに、かすかな鈴の音はとても良く似合うと思うのでした。