アクトオブキリング

監督:ジョシュア・オッペンハイマー

タマフルを聴いて気になった作品。金曜日の夜見に行くには少々思いかなと思いつつ向かったのだけど、少々どころではなく重かった。見て良かったと思ったけど人におすすめするというのも違う気がする。でもきっと忘れずに残るだろうなと、言葉ではなく、身体的に感じる場面のある映画だった。

映画は1965年にインドネシアで発生したクーデターをきっかけに起こった共産党支持者の大量虐殺の「英雄」に、当時を再現させる映画。英雄とは、インドネシアでは未だに大量虐殺をした人側のことのようだ。劇中にテレビ出演する場面があるのだけど、インタビュアーに「何人くらい殺したんですか?」と笑顔で質問されたりもしていた。
主役としてメインに描かれているのはアンワル・コンゴという男。映画が好きで、ファッションが好きで、映画の制作にもとても協力的だ。こうやると効率的なんだ、と笑顔で殺人方法を解説した後にその殺人現場で踊ってみせたりする。
しかし演技をさせられる子どもたちは別だ。親同士が殺人の演技をしていて本気で泣き出す。さらに演技に巻き込まれる人たちの中には虐殺された共産党支持者が家族にいたものもいる。そのような場面が幾つも重なっていき、アンワルの表情は徐々に変化していく。

映画の冒頭にはこのような言葉が掲げられていた。

殺人は許されない。殺した者は罰せられる。鼓笛を鳴らして大勢を殺す場合を除いて
ヴォルテール

そうなんだろうか、と思いながら読んだ。鼓笛を鳴らす大義名分があったとして、許されるのだろうか。罰されないのだろうか。この映画は結果として、その場では許されたように見えたとしても、罰は追いかけてくるというものだったと思う。
映画製作の中で、殺される側を疑似体験したアンワルはこれまで見ないようにしてきた「悪夢」だと思い込んで来た真実と向き合うことになる。
ラストシーン、映画の冒頭と同じ場所で見せる、夢から覚めたアンワルの様子は、自分が思い浮かべられる範囲での「殺人を犯したことがある人の反応」でもっとも説得力があったし、自分も実際に少し具合が悪くなった。
ただ、監督は明らかにここを目指して撮影していたのだろうし、そういう意味でドキュメンタリー、とは少し違うのかもしれない。

そのようにかなりしんどい部分も多い映画だと思うのだけど、この映画をポップにしている存在のひとつにアンワルの傍にいつも寄り添う、子分というか腰巾着というか、彼のことをとても尊敬しているのがわかる、年代の離れた(にしだとしゆき似の)男がいて、演技も一番のりのりだし、どことなく憎めなさいもある。途中この男が選挙に立候補するところがあるんだけど、ほんと発言が最低すぎて、あっさり落選してほっとしたけど、でもこういう人が幅を利かせてる世界というのはどこにでもあるし、「罪」に無自覚であるということは他人事ではない。
その後のアンワルと、彼がどのように関わっているのかが気になります。