足りない

少し前からSlowlyという文通アプリを使っている。

www.getslowly.com

距離に応じてそれなりの時間がかかる「ゆっくり届く」のが特徴のアプリで、例えばフランスだと24時間、韓国なら4時間くらいで届く。
始めたのは、英語を使う機会が欲しかったからだ。
ドラァグレースきっかけで海外のコンテンツをよく視聴するようになり、いつか推しクィーンに会えた時に(そういうイベントがあるのだ)思っていることを伝えられるようになりたいと考えるようになった。
学習アプリなども使ってみたけれど、ある程度「会話」ができる場が欲しいなと思っていたところでちょうどこのアプリのことを知ったのだ。

これまでに10人くらいとやりとりをしたけれど、いまのところは私と同じように、語学の勉強のためにやっている人とのマッチングが多いように思う。顔も知らない誰かに当てて手紙を書くという行為自体がなかなか新鮮で楽しいし、時差のあるやりとりなので返事を急がなくても良いのが気楽だ。

ただ、約ひと月程度やりとりを重ねるうちに、この表現は前も使ったなと思うことも増えてきた。
相手がいる文章なので、誤解を招かないようにということを優先してしまうのは仕方ないとして、
例えば、一番長く続いている相手はインドネシアのアニメファンなのだけど、これは知ってる? あれはどう? みたいなやりとりをしている時に、自分は「好き」を表現する言い回しをあまりにも知らないと感じる。Likeでは弱い気がする。Loveは使いすぎた。So muchをつけてもなんか違う。ゴージャス、ワンダフル、クール、どれもしっくりこないし、相手がその単語をどう捉えているのかをイメージできないと使うのはためらわれる。
ただ意味を伝えるだけであれば正確さの方が優先されるのだろうけれど、もっと自分の感覚にしっくりくる言葉を使えるようになりたい、と思うたびに、私の中にある言葉が足りないことを痛感する。

一方で「けいおん!」で好きな曲は何? という話題で「U&Iの歌詞がいいよね」と一致した時は嬉しかった。これは同じ物語を共有している相手だからこそ、語彙にないことをどうにか工夫して伝えようと思えた瞬間だった。*1

まだ英語で満足にコミュニケーションがとれる段階にすら至っていないのに贅沢だなとも思うのだけど、自分が言語をどのように使いたいのかが少しわかったような気がして、そういう意味でも、母語でない言葉を使ってみるというのは面白いことだなと思っている。

思ってはいるが、使いこなせなさにちょっとストレスも溜まるので、基本的に相手を想定しない自分のための文章を書きたくなった。日記というのは私にとってそういうものだ。

*1:彼の他にも、京アニのことを心配している海外のアニメファンはとても多いことを感じている