水色

とても頼りにしている人が遠くに越してしまうことがわかり、それがとてもショックで、近頃少し宙に浮いた気分でいる。
私はショックなことがあるとすぐ、重石を結びつけるみたいにして、それを沈める方法を探しがちだ。

思い出すのは大学生の頃、新しく買った水色のモカシンを玄関に並べて、明日それを履く自分を想像しながら部屋に戻った夜のことだ。
漫画を読んでいたら、階下から弟の泣き声が聞こえた。それから「お姉ちゃんに怒られるよ」という母の声。遠くに電車の音が聞こえるのは冬だった。
階段を降りてみると、あたりは灯油臭く、私のモカシンがずぶ濡れになっていた。
当時我が家では(おそらく今も冬は)玄関に置かれたポリタンクから、ストーブの灯油缶に灯油を注いでいたのだ。
どうやら弟はそれを失敗して、玄関に灯油をまいてしまったようだった。
ねずみ色に変色したモカシンを見て、母親は「諦めたほうがいいと思う」と言った。
その瞬間、残念だという気持ちや靴の値段や明日着るはずだった服のことがざあっと体を通り抜けてゆき、なぜだか「怒るのはやめよう」と思ったのだった。
灯油缶に灯油を注ぐ作業は我が家で特に面倒な作業として位置づけられており、しばしばじゃんけんで負けたものの仕事になった。何より、弟は何をするにしても悪気のあるタイプではないのだ。
すごくすごく残念だったけれど、怒ってもモカシンは帰ってこない。
そうして、私はそれをあっさりと捨てた。買ったばかりのものを捨てるなんて、多分あの時が初めてだった。
だがそれは決して弟への思いやりではなかった。
解決の糸口がない感情が沸き起こるとき、自分にはそれを手放すことで楽になろうとする傾向があるのを知っていた。なくしたものを振り返るより、重石をつけては放り投げ、波紋が消えるのを待つほうが楽なので。

だけど、少なくともあと5年はその人を頼りにする気持ちでいたので、その連絡はいまだにショックなまま手元にある。
ただ、それが自らの夢を一つ叶えた結果なのだと聞き、私よりずっと年上の彼女が、新たな夢を叶えたということに、揺れる船から街明かりを見つけたような気持ちでいるのも確かなのだ。
彼女がこれから暮らす街はあまりにも遠い場所にあり、私たちは個人的な連絡を取るような間柄ではないため、おそらくこの先、一度会えれば良いほうだと思う。

彼女が私に「なんだか顔色が悪いね」と言うとき、私は決まって水色のトップスを着ていた。だからあの靴も、きっと似合わなかっただろう。
けれど1度くらいは履いてみたかった。今は素直にそう思う。