散歩と2冊の小説

先日、1人で昭和記念公園に行った。
バードウォッチング用のエリアがあるらしいと知ってからずっと行きたいと思っていたのだけれど、新型コロナ感染症の影響で長らく閉まっていて、それが先日ようやく開いたのだ。

魔法瓶にコーヒーをいれ、鳥も見たいので双眼鏡も持ち、一番歩きやすい靴で公園へと向かう。最寄駅(立川)から公園まではそれほど遠くないのに、公園内に入ってから有料エリアの入口にたどり着くまでですでに10分くらいはかかっており、地図でもう一度その広大さを確認して1日で全部回るのは無理だなと早々に諦め、バードウォッチング用の小屋を目指すことにした。

思ったより遠いな、と3回くらい思ったあたりで「バードサンクチュアリ」という野鳥観察小屋に着いた。誰もいない。これなら見放題だ、と双眼鏡を構えてみること数分。
何も起こらない。鳴き声ひとつ聞こえなかった。
文鳥を飼い始めて以来、鳥類全般に興味を持つようになり、「とりぱん」を読んでは野鳥観察に憧れを募らせていたのだけれど、自然の多いところに行けば野鳥がみれるのではというのは、どうやら甘い考えだったようだ。
考えてみれば、家にいても、鳥の鳴き声がよく聞こえてくるのは朝と夕方だ。どちらかというと朝の方が多い。とりぱんを読んでたって朝が肝心なのはよくわかる。
ということは、こういった観察スポットだって、鳥が活動的な時間帯に訪れることが重要なのではないだろうか。
昼過ぎは遅すぎたのかも。でもせっかくだし……としばらく粘ったものの、鳴き声ひとつ聞こえず静まり返っているのでなくなく諦めることにした。
(追記:ひと月後に訪れた際は同じくらいの時間帯でもたくさんの野鳥を見ることができたので単に季節もしくは天気の問題だったのかもしれない)
少し歩いて池のほとりにあるベンチに腰を落ち着けた。
サーッと風が吹き、ススキのような、池から生えている背の高い植物が、おくれてゆったりと体を倒していく。
その向こう、けぶったような曇り空の下には、ぽつぽつとスワンボートが浮かぶという古ぼけたポストカードのような景色が広がっていた。池は向こう岸が見えないほど広い。
ずず、とコーヒーをすする音すら吸い込まれていくような静けさで、いいところだなと思った。
ベンチの背もたれも本を読むのにちょうどよい具合だ。膝頭に日差しが当たって暖かい。

この公園で働くのはどんな感じだろう。
津村記久子さんの「この世にたやすい仕事はない」という本を読んでから、大きな公園にいくたび、ここで働くのはどんな感じだろうと考える。
ふと、すぐそばのウッドデッキでウエディング衣装をきたカップルが写真撮影をしているのに気がついた。ざぁ、、っと風が吹いて植物が揺れるたび、白い衣装がよく見えて、レアな鳥を見つけた気分を少しだけ味わったような気分になれた。

写り込んでもなんだし、とベンチをあとにして、広大な池のまわりをぐるりと歩く。歩いていると、自分もこの公園の一部になってる感じがして、よいところだなとまた思った。

それからしばらくして、津村記久子さんとチョン・セランさんのオンラインイベントがあることを知って、参加した。そこでチョン・セランさんが「この世にたやすい仕事はない」の話をしていて、さらに津村さんが「フィフティ・ピープル」の話をしていて、
あの公園で私は「フィフティ・ピープル」を読んでいたんだよね、という日記を書いておこうと思ったのでした。