大豆ざんまい

袋状の油揚げに納豆を詰めて焼いたものが好きだ。フライパンでじりじりと焼き、最後に醤油をまわしかけた時の香ばしい匂いは最高に食欲をそそる。なんという料理なのか知らないし、実家では食べたことはないので、たぶん居酒屋などで食べて覚えたのだろう。
私はそれをかなりの頻度で作る。油揚げ、納豆、醤油どれも大好きだし見事な大豆被りで、大豆の万能さに驚くばかりだ。
そして文鳥の名前もソイ(ソース/お醤油)だ。

最近のソイについて、これは…もしや…意思の疎通が取れているんじゃないか…?と思うことがある、と言ったら「意思の疎通は双方向なのでは?」と言われ、それとはちょっと違うのだけど、「なんとなくわかる」の範囲が広がってきたような気がする。
相変わらず怖がりなので手に乗せた状態で部屋を移動するだけでぎゅっと足をふんばるのもかわいい。Switchが嫌いなのだけど、やりかけだったSwitchをクッションの下に隠した状態で放鳥したら「そこになんか嫌なものがある気がする」という感じで顔をいろんな角度に傾けながら確認しているのもかわいい。頰によりそうように肩にとまっていたとき、私が首を傾ける方向を変えるとトトッと反対の肩へ移動し寄り添いなおすのもかわいい。
そういった行動について「ああSwitchを気にしてるんだな」とか「慣れてない場所がやなんだな」とかわかるようになった感じだ。

近頃、地震が多いので、もし避難することになったらどうしようかということをよく考える。
夜中に強く揺れる時、カゴの中でパニックになり暴れている文鳥をなだめようと、暗いままの部屋で少し撫でることがある。ドラムロールのような速度で脈打つ心臓を手のひら越しに感じると、そんなに急がないで欲しいといつも思う。

文鳥が家に来たばかりの頃、小川洋子「不時着する流星たち」に収録されている「さあ、いい子だ、おいで」を読んで、(それは文鳥を飼い始めたものの、だんだんと疎ましくなってカバーをかけっぱなしにする飼い主の話なのだけど)、もし、万が一にでも自分がこれになったらどうしよう…と恐ろしくなった。
今のところ、その兆候はないものの、なるべく自分を信用せずに疑っていきたい。

そろそろ年末が近づいてきたので、引きこもり用の食材をあれこれ買い込むことを楽しみたいと思います。