日記を読む/老いについて

昨年末「本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日 」*1という記事をきっかけにオモコロチャンネルをみるようになって、今やすっかり生活に欠かせない楽しみとなっている。

先日、これだけ楽しませていただいているので……の気持ちでオモコロの有料会員になったところ、会員向けコンテンツである編集長(である原宿さんの)日記が読めるようになった。

「編集長日記」に関する記事 | オモコロ

ので、今はその「編集長日記」を、時系列に読み進めているところだ。
有料コンテンツなので内容については書かないけど、日々考えたことや視聴記録、お子さんの成長などについて書かれている、インターネットで読みたい日記ってこういう感じ、という馴染みのあるスタイルの「日記」で、読むのがとても楽しい。

興味深かったのが、「編集長日記」は2019年、つまりコロナ前から更新されているのだけど、当時の様子を今読むと、かなりのタイムスリップ感がある、ということ。2019年にはそれが「なかった」ということがすごく空気として「ある」んですよね。
時系列を辿っていって2020年に行くのがちょっと怖いくらいで、これが「観測者」の視点……? と思ったりもした。
誰かの日記を通してしか得られない「時代の空気」ってある。

他にも、この頃自分もこの映画をみたとかゲームをやったとか、これが話題になってたなとか、コロナ禍序盤ってこういう空気だったな〜とか、そういうのを思いだせるのも楽しい。
改めて日記っていいものだなと思ったし、自分ももうちょっとまめに書きたいな。

そして最近、長年見てきた日記の中に「老い」についての話題が増えてきたような気がしている。「編集長日記」にもちょくちょく出てくるワードだし、自分の中でも最近よく考えるテーマなので、いろんな人が挙げている参考図書を各所カートに積んでいるところだ。

今考えているのは「どのくらい生きるつもりか」を逆算するようになるというのが「老い」なのかなということ。
どのくらい生きるつもりなのかを考えたりすることは、もちろん若い頃にもあることだけれど、逆算するというのは、つまり自分がかつてのようには行動できない、ある程度不可逆な身体的な衰えを自覚しているということでもある。
長年使っていたら衰えるのは当然のことだし、健康に気を使うのは、むしろ使い心地のためのメンテだったんだな、ということが今ならわかる。

でもかつては無限に「無理ができる」と信じてたんだよな。
だからこそ、めちゃくちゃ余計な口出しとわかりつつ、10代~20代の元気さはその頃にしかないものだと思うので大事にして欲しい〜と思うことが増えた。
一方で、その頃にしかないってことに気づいてないからこその輝きもあるんだろうな……ということを考えたりしている。