監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
先月くらいから「イゴールの約束」「ロゼッタ」「息子のまなざし」を続けて見返しながら、ダルデンヌ兄弟が映画で描こうとしているのは「何かがはじまる」までの物語なんだろうな、なんて考えていたのだけど、その感覚は今回も鮮烈な印象を残す。そして「ある子供」において描かれる「何か」は「父性」なんじゃないかなと思います。
女である私にはその「父性」というものを実感として感じることは(たぶん)出来ないのだけど、母性というものがよく「母性本能」という熟語で使用されるのに対し、父性というものはそのような文脈て使用される例があまりない。とりあえず母性よりは圧倒的に少ない。それはたぶん、「父性」というものが、本能として持ち合わせているものというよりは、何かの切欠によって生み出されるものだからなんじゃないだろうか。
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この映画の主人公はブリュノという若い青年だ。物語は彼の恋人ソニアが彼の子とともに、ブリュノを探しているところから始まる。そして彼が恋人にかける言葉は「退院したのか」だった。生まれたのか、ではなくて退院したのか、だ。
盗みを繰り返し、その日暮らしを続けるブリュノをソニアが責めないことからも、これまでの2人は現状に甘んじて、それなりに楽しんで生きてきたのだということがわかる。ただ、子供を抱えたソニアが既に母性を獲得しつつあるのに対し、ブリュノにはまったくその自覚がない。
そして彼が赤ん坊を「売り払って」しまうところから、ソニアは「母」になり、物語はブリュノを追いかけるようになる。いつものダルデンヌ監督のスタイルで、カメラはただ、ブリュノを見つめている。
その場の状況を切り抜けることしか考えていないブリュノは、ソニアに見放されてもなお、彼女に頼ろうとする。その様子は、まるで母親を奪われた子供のようだ。しかしソニアに突き放されることで、ブリュノは最悪の状況に自ら巻き込まれていく。
ブリュノは決して悪人ではない。ただ、知らないものを想像出来ないだけなのだろう。手下のように使っている少年を待ちながら、棒切れで川面を引っ掻いているブリュノの背中を見て、そんなことを思った。
そして、そのような描写の敷き方が、物語のリアルな質感を際立たせる、ダルデンヌ兄弟ならではの手腕なのだと思う。限りなくシンプルな映画でありながら、観客に考えさせ、感じさせ、しかも納得させる。
彼らはまだ、一歩を踏み出したばかりだ。その一歩はたぶん、ブリュノに芽生えた父性であり、この映画では、それが生まれるまでの道のりが描かれている。
物語の先にこれからの重みを感じる、素晴らしいラストシーンだったと思います。
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「イゴールの約束」では「息子」を演じていたジェレミー・レニエが、今回父親になる役を演じてるっていうのも面白い。
【過去の感想】
- 「イゴールの約束」id:ichinics:20051026:p1
- 「ロゼッタ」id:ichinics:20051022:p1
- 「息子のまなざし」id:ichinics:20051124:p1