北海道へ行った/観光の3日目〜帰宅の4日目

すっかり間が空いてしまいましたが、北海道旅行記ラストです。

この日はもともと、片付けが長引いた時用の予備日と考えていたのだけど、思いの外はやく片付けが終わったため完全フリーになった。

前日話し合った結果、この日の予定はこんな感じに。

  • 北海道大学植物園
  • 六花亭本店でお土産を買う
  • ジンギスカン
  • 水族館


まずは朝食ビュッフェ。
昨日の反省を生かして控えめに…と思ったのに、やっぱりおいしくてつい食べすぎてしまった。

その後、親戚やお世話になった方へのお土産を買うため六花亭の本店に向かう。
ただ、10時の開店まで、まだちょっと時間があったので、まずは近くにある北海道大学植物園に行くことに。
北海道大学植物園は、規模としては小石川植物園くらいの大きさだけど、まるで森の中を散策しているような雰囲気がある。

ここでの甥っ子はかなり楽しそうだった。虫とか草とか木の実とかが身近な年頃なんだな、と思う。

隅々まで歩き回った後、満を持して六花亭へ。
各所へのお土産を手配した後、甥っ子がいい感じに落ち着いていたので、私は一瞬離脱して近くにあるファイターズショップに行き、今年からファイターズに移籍した島本投手のグッズを購入したりもした。

六花亭の後は、弟が会社の方に勧めてもらったという「ツキサップじんぎすかんクラブ」で昼食。
皆朝食を食べすぎていたので、基本のセット1人前と追加で肉1皿という感じにしたんだけど、すごくおいしくて、名残惜しいくらいだった。
甥っ子にはハードルが高いかなと思ったけど、甥っ子用に注文したポテトフライやウインナーを食べながら機嫌よくしてくれていた。えらすぎる。

ジンギスカンのあとは、これも弟が調べてくれていた八紘学園北海道農業専門学校の農産物直売所に寄った。
ここで売っていたソフトクリームは、サラっとしてるのに濃厚でめちゃくちゃおいしかったな!
甥っ子はトラクターの座席に座れたのが嬉しかったらしく、テンションぶち上がりでした。

その後は、ホテルの近くにある「AOAO」という街中のビル内にある水族館へ。
甥っ子がちょっぴりテンション上がりすぎたところで、ファイターズショップで買っておいたしゃけまる(ファイターズの応援グッズ)を渡すと、しゃけまると水槽の中の魚を比べて「おんなじだね!」をやり続けていて大変かわいかった。


しゃけまると甥っ子

AOAOは、ペンギンのいる最上階以外は、小さな水槽がたくさん並んでいる「自然観察」寄りの水族館という印象。ディスプレイもとてもかわいかった。
どちらかというとデートスポット寄りなのかな? とも思ったけど、ペンギンエリアの横には「BLUE ROOM」という壁面いっぱいに魚が泳ぐ映像が流れたりしているエリアがあり、ここは大勢のキッズが魚をおいかけて走り回っていた。甥っ子も同様で、無尽蔵の体力が眩しい。
おそらく、そんな具合にキッズを釘付けにするための場所なんだろう。それを見守るベンチエリアにはぐったりした大人がたくさん座っていた。

AOAOを出たあとは、近くにあった千秋庵で念願の生ノースマンやお土産を色々買う。
衝撃的だったのが妹が絶対食べたいと言って探していた「巴里銅鑼」。
オムレットで挟まれたどら焼きなんだけどふわっふわでとてもおいしかった。


また食べたい

夕食は北海道に来るたびに寄っている「さえら」でテイクアウトをしようと思ってたのだけど、電話してすぐとかにできる感じではないらしく、この日は注文できず。
じゃあ有名な「どんぐり」(母がよく名物のちくわパンを買ってきてくれていた)でパンを買うかということになり、再び出発。
甥っ子はベビーカーで即寝、通りかかった大通公園ではジャズフェスティバルをやっていた。

どんぐりで私が買ったのはカニクリームコロッケ風の、カニクリームが入った揚げパン。こんなのおいしくないわけがない。
そんな感じで夕食は軽く済ませ、荷造りをして明日に備えることに。

夜テレビで「鬼レンチャン」をやっていて、甥っ子が食いついていると思ったら理由は背景のセットにだるまがいるからだった。本当に面白いな。

最終日

帰りは13時頃発の飛行機をとっていた。
そのため、早めにチェックアウトをして、新千歳で最後の食事をとることに。
着いたのがちょうど飲食店が開店する直前だったので、目当ての寿司屋の1巡目に入ることができ、とてもスムーズだった。

その後、いんかのめざめソフト(おいしい)を食べたり、フライドポテトを食べたりしつつ、最後のお土産購入(ここで買った佐藤水産の炊き込みご飯の素が父親には好評だった)をして飛行機へ。

浜松町で皆と別れ、帰宅したのは17時すぎとかだったかな。
翌日午後休をとって文鳥を迎えにいき、ようやくミッション完了となりました。


母は北海道に行くたびに、いつも美味しそうなお土産をたくさん買ってきてくれた。
今回の旅では、これ買ってきてくれたことあったよねとか、これ好きだったねとか、それぞれの思い出を色々と話したりできて、こうしてみんなと一緒に来れて、良かったなと思いました。

それと、母の北海道の部屋を見て、かつて読んだ『自分ひとりの部屋』*1を思い出したりもした。
母の部屋には、家族から離れて、自分の部屋を持つことを楽しんでいた感触がしっかりとあって、それが嬉しくもあった。

北海道へ行った/片付けと円山動物園の2日目

朝起きて、まずホテルの朝食ビュッフェに向かう。
北海道だからビュッフェもうまいだろう、なんて気軽な気持ちで向かったのだけど、これがちゃんとおいしくて嬉しかった。
刺身(朝から刺身)は10種類くらいあってぜんぶおいしいし、具がやたらと豪華なお茶漬けもある。ジンギスカンもある。つめたいコーンスープもおいしそう。
そんな具合に、気になるものをとっていったらお皿が山盛りになってしまった。
甥っ子はフルーツコーナーにあるスイカを何度も見に行って(スイカが好き)最終的には、まだだされていなかったそのスイカを切ってもらっていた。やさしい。


朝から海鮮丼

母のマンションには9時頃に到着。
業者さんは10時に来る予定なので、それまでに持ち帰るものをある程度まとめてしまおうということで、タンス、机、飾り棚など手分けして整理をする。
かつて実家に飾られていたイギリス土産の人形とか、ここにあったのか、と思うものが色々とみつかった。こういったものを細々と東京から運んできていたんだな。
エスコンができてから日ハムを応援していた母の、応援バットや清宮選手のタオルもあった。いつか一緒にエスコンに行こうと話していたのはついこの間のことだった。

業者さんは3人で来てくれて、2人が大物家具の運びだし、1人が紙類の仕分け(大事なものがないかなどのチェック)をしてくれて流石の手捌きだった。
ちなみに業者さんは、「みんなの遺品整理」と「くらしのマーケット」で探しました。
東京から飛行機を予約して向かう都合上、日程を早くから確定したく5月くらいからやり取りをしていたのですが、一貫してとても親切で本当に助かりました。

甥っ子も、大人が大勢作業している室内で機嫌良くベイマックスを見てくれていた。

業者さんを見送った後、実家に発送する荷物をコンビニに持ち込んで作業完了。
時刻はまだ12時少し手前という感じだ。

もともと、翌日に円山動物園に行く予定にしていたのだけど、これなら今から行けるんじゃない? となり、動物園に向かうことにする。連休なので混んでたりするかな、というのが心配だったが、駐車場の空き状況もネットで確認できてありがたかった。

円山動物園には、母と妹と3人で来たことがあった。
私はなにしろ20年ここで日記を書いているので、その日の日記もちゃんとある。

北海道旅行その1/札幌 - イチニクス遊覧日記

14年ぶりの円山動物園は、前回来た時よりも広くきれいに感じた。もしかしたらリニューアルしたのかもしれない。
何よりありがたかったのが、随所に室内から動物を見れるエリアが併設されていたこと。
この日はしばしばにわか雨が降るような天気だったのだけど、すぐ室内に入ることができたのでほぼ濡れずに過ごすことができた。

甥っ子はなぜか展示物の「ダチョウの卵(偽物)」にご執心で「触りたい」と言い続けていた。
大きすぎるキリンやゾウにはほぼ反応しなかったけれど(ちょっと怖かったのかもしれない)、ガラス越しの虎やミーアキャットは「触りたい」だった。
ちなみに北海道旅行からしばらく経った現在も思い出話として語られているのは「ダチョウの卵(偽物)」だ。子どもって本当に面白いな。

動物園をくまなく見て回った後、駐車場からトリトン(回転すし屋さん)の持ち帰りweb予約をしてピックアップ、それを夕食としてホテルで食べることにした。
今回はホテルにある「和室ルーム」を予約したんだけど和室だからこそ室内で食事もしやすくて助かりました。ホテルにある和室ってむしろお子さん連れ向けなんだなというのを初めて知った。

盛りだくさんな1日だったのもあり、今夜の寝かしつけは過酷、という感じだったので、私と弟は邪魔にならないよう、散歩がてら20時から開店するというジェラート屋さんに行くことにした。
これはグーグルマップを見ていて見つけた店なのだけど、ついてみるとすでに30人ほどの行列ができている。
結局1時間近く並んで妹の分も含めて3人分のジェラートを購入してホテルに戻ると、ちょうど甥っ子も寝ついたところだった。

〈週末夜だけのジェラート専門店〉ジェラテリア ラ・ジョストラ

翌日はフリー日だったので、何をするかを軽く相談してから就寝。
かなり歩き回ったけれど、足の調子は問題なくほっとした。

北海道へ行った/むらさきだるまの1日目


もう15年くらい前だっただろうか。ある日、母が北海道にワンルームマンションを購入した。6畳ひと間でユニットバス、台所も小さな、大学生が最初に住むような感じの古いマンションだけど、立地がよく、かなりの格安だった。
購入してからは、年に4~5回、それぞれ10日ほど北海道で過ごすという使い方をしていた。
私も母と一緒に北海道旅行をした際、2度ほど泊めてもらったことがある。

昨年夏、母が亡くなり、いつか北海道のマンションを片付けにいかないとねという話になった。
雪の時期は作業が大変かもしれないから、夏になったらかなと話していて、今月、ついに北海道へ行くことになった。いろいろ相談した結果、弟と妹と甥っ子と、4人での旅行になった。父は訪問介護の方と上の弟が見てくれることになった。

以下、マンションの片付けの話と2歳児と大人3人で行く北海道旅行の記録です。

7月17日/むらさきだるまの1日目

出発の3日前くらいに、目が覚めたら右膝を痛めていて、数日間、少々歩くのが不自由なくらいだった。足を不自然な状態で曲げたまま寝落ちしてしまったことが原因だと思われたが、治し方もわからず焦る。
しかし出発日の朝、起きてみると、まあなんとかいけないこともないという感じだったのでかなりホッとした。
午前中にゴミ出しなどをすませ、文鳥預かりの準備をして預け先に向かう。そして預け先のある駅のロッカーに入れておいたトランクをピックアップして羽田に向かって合流。

甥っ子(2歳)が出会い頭に「紫だるまある?」と聞いてきたので、なんで知っているんだとびっくりしながら紫のだるまを渡した。
甥っ子は大のだるま好きだ。たとえばベイマックスを見ていても、ほんのわずかなだるま登場シーン(ヒロの部屋に飾られている)を何度もリピートしている。
そして私は毎年(たぶん10年以上)初詣でだるまみくじを引いていて、家に小さなだるまがたくさんあり、これまでも甥っ子に会うたびプレゼントしたりしていた。
そして、甥っ子は私のスマホのカメラロールを確認し(文鳥動画を見たりとかで私のスマホを一緒にみることがよくある)自分がまだもっていない紫色のだるまを私が所持していること(そしていつかもらえるであろうこと)を把握していたのだ。
なので、私もなにかあった時用にと思い、この日紫だるまを持ってきていたのだけど、出会い頭の一言目で紫だるまを持ってきていることをあてられるとは思わず、皆でエスパーじゃない? と笑いながら搭乗ゲートへと向かった。

搭乗ゲート近くにあるキッズスペースで遊びまくった甥っ子は離陸前に爆睡、何事もなく新千歳に到着することができた。

空港で弟が予約しておいてくれたレンタカーを借り、まずは母のマンションへ向かう。

母が最後にこの部屋を使ったのは、多分2年前とかかもしれない。1年半前に父が脳梗塞で倒れ、そこから思うように旅行にいけなくなってしまっていた。
室内は、片付いていたが、私が最後に泊まらせてもらったときと比較してかなりものが増えていた。どうやって持ち込んだのか不思議な家具も色々とあった。
それと同時に、母がここでの暮らしを楽しんでいたことも伝わってきて、父が倒れてからの半年は、母にとって「自分の部屋に帰れない」という状態だったのかもしれないなと思った。

明日、片付けを手伝ってくれる業者を呼んでいるので、室内の写真を撮り、実家に送るものの目星をつけ、ひとまず宿に向かうことにする。
時間の止まった部屋に足を踏み入れるのは勇気がいる。
なので、妹も弟もいて心強かったし、空気をよまない甥っ子がいてくれてよかったなと思った。
ということをお互い口に出して話すまでにはここから三日ほどかかった。


この時点で確か19時くらいだっただろうか。
甥っ子はもう眠気が限界突破しているはずだが、旅先ということもありハイテンションでいる。とりあえず何か食べさせる必要がある(&大人もお腹が空いている)ということで、母のマンションの近くにあるセイコーマートに寄り、色々と食べ物を買い込みホテルで食べることにした。


並べてもいないし蓋も開いていない
綺麗に並べて写真を撮る余裕もなかったのでこの有様だけれど、噂のカツ丼もベーコンおかかおにぎりもめちゃくちゃおいしかった。ポテトサラダもおいしかった。
一気に食べ終えた後、諸々準備をして、甥っ子がねたあと3人でワードウルフを少しやってから就寝。
ワードウルフは眠すぎてなんて答えたのかよく覚えていない。
そんな感じの、怒涛の1日目だった。


ホテルのロビーにあったゴーレムに紫だるまを挨拶させる図
続く

沖縄キャンプと読書

完全にタイミングを見失っていたのだけど、少し落ち着いたので今年の沖縄キャンプについても日記を書いておきたい。野球の話というよりは、読んだ本についての話です。

初日は文鳥を預けてから向かう予定で夕方着だったため、余裕をもって那覇泊にした。
沖縄キャンプ見学も3年目になり、交通にも慣れてきたので気持ちにもかなり余裕がある。

初日の夜は有名な沖縄の定食屋、みかどで「ふーちきなー」を食べた。車麩と、からしなの塩漬け(チキナー)とスパムなどを炒めたもの。とてもおいしかったんだけど、かなり量が多かった。少々時間がかかったけど、気合いで完食した。

翌朝、路線バスで具志川キャンプ場のあるうるま市へ向かった。
那覇では「県庁前」*1に泊まったのだけど、ここを選んだのはバスの選択肢が多いからだった。
宿もまた、球場に近いのはもちろん、県庁前からのアクセスがよいバス停を基準に選んだ。3年目ということもあり、この道ならバスの本数が多い、この道は少ないかも、みたいなことがだんだんとわかってきた気がする。

沖縄を路線バスで移動していると、すぐに覚えるのが「国道58号線」だ。なんと鹿児島から那覇までをつなぐ日本一長い国道とのことで、名前は知らなくても「沖縄の背骨」と呼ばれているのを読んであの道だ、というのがすぐにわかった。
今年、せっかく沖縄に行くのだから現地で沖縄の本を読もうと思って、手に取ったのが、キャンプの直前に発売された豊永浩平『はくしむるち』だった。二人称で書かれた話である、という前情報を見て興味を持ったのもあるし、表紙をみて、うるま市でよく通る道のグラフィティを思い出したのもある。
そうして読み始めてすぐに、国道58号線が登場し、私はあのまっすぐな道路が「国道58号線」という名であることを知った。沖縄戦のあと、米軍が整備した軍道であったこともそこで初めて知り、だから軍用地だった場所を通るのかと今更理解した。

「はくしむるち」は沖縄に生まれ育った若者たちと、80年前の戦場を生きた少年兵たちの物語が交差して描かれる小説だ。
メインの登場人物である、いじめられっ子だった「行生」がグラフィックアートという表現手法を手に入れ、その周辺にいる若者たちも、伝統芸能、暴走族、野球、性暴力など、さまざまな文脈が絡み合う中にいる。
そもそも、私は沖縄の歴史をまるで知らなかった。いい大人なのに、戦争と今を切り離されたもののように感じてしまっていて、でもそれは、58号線の歴史のように、私が今いるこの街と繋がっている(当たり前のことだが)のだと、物語を通してようやく理解できたように思った。

キャンプ練習はだいたい16時には終わるので、沖縄滞在中の夜は長い。
私は、友人と過ごした日のほかは、バスに乗って地元の若者のあつまるスタバや、思いのほか高齢者の多いエンダーに出かけて本を読んで過ごし、スーパーやタコス屋に寄って食べ物を買って宿に戻り、翌朝のキャンプに備えた。

帰宅してからも『はくしむるち』を読んだときの、そうだったのか、が忘れられず、沖縄関連本を読み継いでいる。
現代の話、少し昔の話、いろんな時代の沖縄の話を読んで、これはあの時みたあれと関係があるかもしれない、などと考えるのが面白い。

友人の勧めでドラマ「フェンス」もみた。これは野木亜紀子三脚本の沖縄を描いたドラマなんだけど、所々に見知った風景が映るのも面白いし、その風景の意味に気づく場面もたくさんあった。以前読んだ『裸足で逃げる』とも通じるところがあった。なにより、たとえば基地問題についても賛成反対という単純に二分化できる話ではないというところを丁寧に描いていて、のちに読んだアメリカの統治下にあった時代の沖縄(アメリカ世)の話を読む際の補助線にもなった。
読んで面白かった本については年末にでもまとめたい。

そんなわけで、今年は月に1冊くらいは、何らかの形で沖縄に関連する本を読んでみるつもりでいる。来年キャンプに行く際には、キャンプ見学だけではなく、本を読んでいて気になった場所を実際に訪れてみたいな。

沖縄でもう1冊読んで面白かったのが岸政彦・柴崎友香「大阪」だ。
これはつまり、タイガースを応援するようになり、いわゆる阪神エリアに興味を持つようになったことから(あと柴崎友香さんの本は大体読むようにしているから)手に取ったんだけど、つまり今自分が興味を持っているのは、縁のできた土地についての理解を深めることなんだろう。

キャンプの話をしてるんだか本の話をしてるんだかというわかりづらい文章だと思いますが、とにかく言いたいことを書けるのが日記のよいところです。

ちなみにキャンプでは、ものすごく幸運なことに岩崎投手にサインをいただくことができた。
なので、キャンプ帰宅後に骨にヒビが入ってもエアコンが故障しても、今年を「ついていない」という気にはなれない。とにかく一生の思い出になるキャンプでした。

*1:ゆいレールの「県庁前駅」

挽回の下半期(寄稿のお知らせ)

4月末のGW初日、私は午後休をとって神宮球場へ向かっていた。
開場を待つ列に並んでいたところで電話がかかってきて、担当しているプロジェクトについてトラブルが起きたことを知る。
最初の連絡では、メンバー間でのトラブルという印象だったのだけど、試合中追加で電話がかかってきて、どうやら、私の送ったメールについての誤解が発端であることがわかった。外で電話をしている最中、まるで花火があがったかのように背後の球場がドッと湧いたのを覚えている。
大山選手のホームランだったそうだ。
そしてその日は、ホームランがあったにもかかわらず10-5で負けた。

そこから約2か月、そのトラブル対応で気が休まらない日々が続いていた。
休日や深夜にメールを書きながら、なんども「こちらは業務時間外ですが」と言い返したくなった。それは事実なのだけど、そのほかのメンバーに無事謝礼を支払うためにもプロジェクトを完成させるのが私の仕事なので、SNS(bsky)に愚痴ることでしのいだ。
それでも、当初は頓挫するか/しないか、というような状況だったのが、だんだんと、まあ完成はめざせそうだが期日を守れるかどうか、になっていき、ついに今週、GW明けに調整した10日の後ろ倒しでなんとか納めることができた。

この仕事の話だけでなく、一つ前の日記に書いた肩のけが以降、今年の上半期はついてないことが多く「気が休まらない」を言い訳に、主に生活のいろんなこと(この日記含む)を後回しにしてきてしまった。
なので、今年は下半期から挽回していきたいなと思っています。

実家の諸々についてはこれまで通り、基本的に週1で実家の手伝いに行く生活をしている。
妹と甥っ子が同じタイミングで顔を出してくれることが多いので、成長著しい甥っ子と頻繁に会えるのは楽しみでもある。
トラブルがないわけではないけれど、ある程度のトラブルを乗り越えていくことは、ルーティン化して油断しないためにも大事なことなのかもしれない。

そういった、兄弟連携しての在宅介護について、先日寄稿をさせていただきました。

www.e-aidem.com


介護の状況というのは、家族によって千差万別なものだけれど、
約1年前の自分が、特に兄弟間の連携について、誰かのポジティブ寄りな体験談が読みたい、と思っていたので、
そういう気持ちの、どこかの誰かに届いたらいいな、と思っています。

下半期は日記もたくさん書きたい。