クライマーズ・ハイ

クライマーズ・ハイ

クライマーズ・ハイ

横山秀夫さんの小説はこの「クライマーズ・ハイ」と「半落ち」しか読んだ事がないのだけれど、「クライマーズ・ハイ」は所謂ミステリともエンタテインメント小説とも違う感触があり、著者のこれまでの作品とは、たぶん色合いが異なるのだろうなと思う。
この小説は日航機墜落事故当時の群馬県にある地方新聞社を舞台として、悠木という1人の記者の人生を描いたものだ。そして悠木が勤める「北関東新聞」はたぶん、横山秀夫さん本人が12年間勤めた「上毛新聞」をモデルに描かれたのだろう。編集部の雰囲気、会社での人間関係の駆け引きなどは非常に迫力があり、読みごたえがある。
ただ、記者として、父として、息子として、などと描かれるテーマが多く、それが悠木の個人的な視点からしか描かれない上に回収される前に次の出来事が起こる、というような展開が多いような気もした。まるで、「事実」を書こうとしているからこそ、その場を見ていないものはその「外」にしかいられず、結局その中で語られていたことを理解できないというような、もどかしさが残る。
作品自体が「現在」の悠木の回想のような形で描かれていることから、著者自身も意図していることなのだろうけれど、もしかしたら、著者自身の「過去への総決算」という非常にプライヴェートな内容なのではないかと思えてしまった。
それでも、ラスト寸前の、最後の降版のシーンには泣けてしまう。それだけの圧倒的な熱をもった作品であることは確かです。

そして、今回のNHKによるドラマ版では、小説で語られる熱は残しながらも、少々詰め込み過ぎにも感じられたテーマを、報道への情熱とモラルの挟間にある葛藤をメインに、父と子、「会社」という組織の理不尽さに絞って焦点を定めることに成功していたように思う。
そしてその結果、「抜きネタ」を目の前にした高揚をクライマーズハイに例えるという構図が明確になっていた。
本音をいえば、小説では何故「山」を描かなければならないのかがよくわからないでいた。多くの「山」をその守備範囲に持ち「もらい事故」の多い地方で記者をしていた著者だからこその発想だったのかもしれない、ということは想像できても、山に登るということと、悠木の抱えている問題との関連に必然性を感じなかったのだけれど、鈍感な私は、ドラマを見てようやく腑に落ちた気がした。小説版にはない台詞だが、「佐山、お前とアンザイレンだ」という悠木の台詞がそれを象徴していた。
あの「事故原因」についての抜きネタを打とうとしていた夜の出来事も、物語のハイライトとしてとてもよく出来ていた。あの輪転機の間を走り回る、等々力の必死さには泣ける。小説でも一番印象に残ったキャラクターが等々力だっただけに、あの割れた眼鏡をかけているシーンは沁みた。
しかし、何といっても一番うまくまとまっていたのは望月彩子に関するエピソードだと思う。悠木の感情を動かす重要なエピーソードだが、小説版での触れ方が自己欺瞞を反省する言葉に繋がっているのに比べて、より明確に悠木の個人的な決心へ結びついている。

「言葉はそこに居続ける。感情とは違う。だから書き続ける」

悠木のその言葉と表情で、「下りるために登る」という安西の言葉も同時に腑に落ちる。この言葉は、ドラマ制作者の的確な解釈を経ているからこその台詞であり、この原作にはない言葉が、このドラマをまた一つの作品として完成させているような気がした。
そして、たとえ被害者の気持ちを実感として理解できなくても、1人の人間として共有できる感情はあるはずだ、という自戒としての希望にも思える。
新聞を作るってことの大変さは嫌ってほど伝わってくるのに、あの熱にうかされてみたい気分にもさせる小説、そしてドラマだった。それでまた山に登ってしまうってことなのかもしれない。
 *
前編を見た時に少し書いたけれど、キャスティングはほんと豪華でしかもはまっていた。特に岸(松重豊)田沢(光石研)等々力(岸辺一徳)社長(杉浦直樹)それから記者の佐山(大森南朋)は小説のイメージそのまま。佐藤浩市さんの悠木も現在のシーンで少々老けたことを強調しすぎな気もしたけれど、悠木のキャラクターにぴったりだったと思う。神沢役の新井浩文さんはちょっと新しい役柄。そして安西の息子役の高橋一生さんも良かった。あ、と整理部の吉井役に「運命じゃない人」に出演していた山中聡さんもいた。この人とのやり取りはかなり興奮するシーンが多くて、たぶん自分の仕事とも一番近い部分だったので印象に残っている。
大友良英さんによる音楽もドラマを煽るのではなく寄り添っているような感じがして良かった。