シスタージェネレーター/沙村広明

シスタージェネレーター 沙村広明短編集 (アフタヌーンKC)

シスタージェネレーター 沙村広明短編集 (アフタヌーンKC)

面白かった…! たっぷり2日かけてゆっくり読んだ。
沙村さんの短編集といえば、「おひっこし」(id:ichinics:20050418:p1)が大変好きなので、この「シスタージェネレーター」も発売前から楽しみにしていました。やーっと2冊目の短編集ですよ。長かった。
そんで読み終えて、やっぱ沙村さんのコメディがすごく好きだなあと思う。短編と、その合間に「制服は脱げない」というクイックジャパンで連載(してたの知らなかった)された掌編シリーズが挟まれたテンポの良い構成もよかった。ナース着の話とか「SA・LI・N」とかなんか同じコマ何度見てんだろって感じです。井上陽水のあれはほんとの話なんだろうか。
あと中篇にしても、ほんと自分の好きなもの描きたいんだなあああーっていうところがすがすがしくて好き。なんだかんだ。
ブリギットの晩餐」はアフタヌーンで読んだときにも印象に残った、あの「ああ お腹いっぱいで 眠い――」っていうところがもう。
読み終えてすごく満足した気持ちになったけど、もっと読みたいです。今連載中の「ハルシオン・ランチ」は、近年中にはまとまると嬉しいな…。

 好きな言葉、嫌いな言葉

閉店後、レジ締めを待つあいだに店内であれこれ喋っていたときの感じは、なんだか部活みたいだった。仕事中はわりと動きっぱなしで、シャッター閉めた後になんとなく、本番が終わったような雰囲気になるのが好きだった。
その時間帯に喋っていたことで特によく思い出すのが、「好きな言葉と嫌いな言葉」について話していたときのことだ。
というか、そのときの自分が、好きな言葉は「だいじょうぶ」だと言ったのは覚えているのだけど、嫌いな言葉は何と言ったのか、思い出せなくて気になる。
それと同時に、その場にいた同僚が言った嫌いな言葉のことも、すごくよく覚えているのだけど、好きな言葉が何だったのか思い出せない。
ただ、その話をしてもう10年以上経っているというのに未だに、彼が言った「嫌いな言葉」を思い浮かべるたび、その場の光景がまとわりついているような気がするのは、たぶん、その場でその理由について話さなかったからなのだと思う。
そんな風に、何かを好きだと言ったり嫌いだと言ったりすることは、たまにすごく長く残ったりする。

先日、人とどうやって日記を書くかという話をする機会があって、最後にざっと見直して気になる部分を削ってくのが多いです、というようなことを言ったら、それで自分は会って話す方がその場でフォローできるから良いなと思うようになったんだよね、って、すごくうろ覚えの記憶だけど、そう話してくれた方がいた。
そして、そのことについていろいろと考えながら、私が書くときに削りたくなる部分は、その理由がうまく説明できなくて(もしくは説明したくなくて)、いつかの「嫌いな言葉」みたいに残ってしまうのがこわいからなのかなーと思った。もしくははみ出した一歩をいつも後悔するから。
あの時、たぶん私は自分がそれまで口にしただろう、その人の「嫌いな言葉」について言い訳をしたい気分になったのだと思う。でもそれについては話せず仕舞いになってしまった。そして私が何といったかわからない嫌いな言葉が、そんな風に残ってたら嫌だなーと、思ってきた。
なんてのは、ちょっと気にしすぎだなと今は思うし、年をとってある程度はあきらめもつくようになったけれど、
確かに面と向かうことの良いところは、相手がいる分、足りなかったと思えばそれを足すこともできないわけではないってところなのかもしれない。

そして、こうやってだらだら書いてしまうのは、やっぱり私にとって日記っていうのはほとんど考え事の整理だからなのかもなと思う。いつになったら整理できるのか、よくわからないけれど。