悪魔とダニエル・ジョンストン

ichinics2006-11-11
ぼんやりした画面に、幼いダニエル・ジョンストンが映って自己紹介する。この映画は新しく撮影されたインタビューと、ダニエル自身が撮り、録りためた膨大な記録によって構成されているのだけど、現在と過去が同じ密度を持ってそこにあり、見た目はすっかりかわってしまったものの、ダニエル自身はずっとかわらずにいるように見える。
例えば「ローリー」。大学時代に出会った初恋の人、ローリーのことをダニエルは今も歌い続けている。彼女へのかなわぬ恋こそが、わき水のように歌の生まれる源になるって、それはロマンチックなことというよりは、むしろ自分自身を動かすことができる燃料として、必要なことだったのだろう、と、思う。ダニエルはずっと、彼女にひとめぼれした、その瞬間に釘付けになったままでいる。だから彼の歌、思いには嘘がない。そしてそれは、結構きついことだと思う。
精神を病み、悪魔を恐れ、数々のトラブル(それはほんとにシャレにならない)を引き起こしてもなお、彼が愛され続けているのは、その純粋さと、むきだしの才能によるものなのだろうと思う。
瞬間に固着することができないものにとっては、その対象がかわらずに輝き続けていてくれることこそが、引力として作用する。ダニエルの才能について語る人の目は、きらきらとしている。そして、この映画の濃密さにも、それはあらわれているんじゃないだろうか。想像するだけで迷子になってしまいそうな膨大な音源を、この監督は凝縮して見せたのだ。
ダニエルの歌。少し空間がずれても、でもちゃんとそこにある。