読書とボケの花

ichinics2006-02-03
ここ数日、同じ作業をずっと続けている。終わらない。そりゃいつかは終わるんだけど、まだまだ道のりは遠く、その後にやらなきゃいけないことが、隣の机(空席)に山積みになっている。うーん。なんていいつつ、つい脱線したりして、また仕事が溜まってく。
そんでも9時くらいには仕事を終えて、喫茶店によって22時くらいまで読書。「無限論の教室」がすごく面白い。数学苦手だったので、数字も苦手なんだけど、あこがれだけはある。
その後、閉店間際の本屋に寄って、ベルカを買おうと思ったのに置いてなくって、かわりに古川日出男さんの新しく出てた文庫本を購入。「二〇〇二年のスロウ・ボート」。これ、メディアファクトリーが出してた「トリビュート 村上春樹」のシリーズだ。当時はなんだその企画、と思っていたんだけど、今検索してみたら、古川さんが発起人だったらしい。(サイトもある → http://www.mf-davinci.com/murakami/)うーん。なんだか複雑な気持ちはするけど、とりあえず読んでから考えよう。

ipodは最近ピーズばかり。特に「ノロマが走って行く」と「サマー記念日」が好きだ。

あと今日、駅前で木瓜の花の盆栽みたいなの売ってるのを見て、それがすごくかわいくて、欲しい。けどきっと枯らしてしまうんだろうなと思うと買えない。(ちなみに写真は昔のなので覚えてないんだけどたぶんボケじゃない。梅だと思います。)

 AとB

私の血液型はAB型です。ABって言うと、まあ大抵「二重人格なんだ」って言われる。最近はあまり言われないかな? でも、これまでかなり多くの場面で「あー二重人格か」って言われてきた。でもまあ、それは他の血液型の人向けにも、なんだかんだある定型句の一つで、AB向けによく使われる定型句がたまたま「二重人格」ってだけだってのもわかっている。もちろん人の性格を四種類に分類できることなんて、出来るわけがないのもわかってる。
でも、私は別に、二重人格って言われても、言われなくても、かまわないわけです(だって私が二重人格なのかどうかなんて、私にもわからないし)。むしろ、ちょっと便利な言葉だなと思っていたりする。
例えば、私は基本的にわりと楽しいし、日々幸せにすごしている。けれど時々は落ち込むこともあって、あー浮かべないなぁーどうしよ。と思ってるときに、二重人格のせいする。どこかにもう一人のわりと元気な私もいるわけだから、だいじょうぶ。そんな風に考えられる。
もちろん、そのAとBあわせて一人の私なわけだけど、ただ、そうやって「二人」の自分を想定しておくことが、私はわりと気に入っている。
「二重人格のせいにするなんてずるい」なんて言われるかもしれないけど、私の人格が二重で迷惑をかけることなんて、それは一重でもかかることとかわらない(だってそれは結局一重でしかないから)。しかも「ずるい」って言ってるのももう一人の私だったりして、つまりは主観/客観がポジネガな感じでくるくると入れ替わっているだけのことだ。
 *
なんて、そんな風に、結構気楽に考えてるつもりでも、やっぱり、AとBの意見にいつまでも折り合いがつかないことがある。
例えば「物事が崩れるかどうか」*1ということ。自分が動くことを、物事を崩さないために、なんて言うのも、崩してしまうのも、自分勝手に思えるのに、他者に対しては「自分にとって良い方を選んで欲しい」なんて思ってたりするのがまた、勝手だ。
大抵は全てが丸くおさまるほうを選ぶ。楽だから。でもこの前は意見に折り合いがつかないまま動いて、でも結局物事は崩れなかった。けど、それが失敗だったとも思えない。自分がそういう風に思うのが不思議だったけど、でも、数年後には悔やんでるかもしんないし、たぶん結論なんてでない。
ただ、なんとなく、AとBに折り合いがつかないことって、選択肢があるつもりだけど、実はとっくに自分のやりたい方を、選んでるのかもしれない。なー、なんて考えたときに、改めてAもBもおんなじ人だったって、思い出したりする。

*1:id:ichinics:20060120:p1