「あなたのことはそれほど」1巻/いくえみ綾

いくえみ綾さんのマンガは、個人的に『潔く柔く』をはじめとする「すごく好み」な作品と「あんまりそそられない」作品の差が大きいのだけど、この『あなたのことはそれほど』はちょっと久しぶりの「すごく好み」側の作品でした。
もちろんそれがいくえみ綾さんのファンの多くに支持される傾向なのかはわからないんだけど、私の「すごく好み」ないくえみ綾作品というのは、たぶん登場人物の表裏を描いていて、複数視点の短編連作なんだと思います。

あなたのことはそれほど 1 (Feelコミックス)

あなたのことはそれほど 1 (Feelコミックス)

浮気をする妻とその夫、浮気される夫とその妻の視点を、キャラクターそれぞれの人となりを描くのに必要な切り込み方で描いていて、改めてうまい漫画家さんだなと思いました。また、「浮気」が間にあるという条件は同じでも、夫婦AとBの間にある空気の違いにもはっとする。でもだからといって「冷めた夫婦である」とかそういうひとことでまとめられない、動いている時間を感じさせるのが、いくえみ綾さんの、複数視点のうまさだと思うんです。
それはキャラクターの描き方についても言えることで、例えば「嫌なやつだなー」と思ってる人がどこか別のところでは「いいやつ」だったりする。そういうことって現実にはたくさんあるけど、そういう余白を漫画で描くのって実は結構難しいことだと思うんですよね。
漫画での人物造形ってある程度「ヒロインの顔」「脇役の顔」「悪役の顔」「善人の顔」って決まってしまってるところがある。あまり意識はしていないかもしれないけれど、読みながら、キャラクターの容姿である程度重要人物であるかどうかを推し量ってるんだと思います。それを逆手にとった意外性を描く漫画ってのはけっこうあるけど、そうじゃなくて、ただ「どういう人かぱっと見よくわからない」顔って、実は漫画にするのは難しいんだと思います。
でもいくえみ綾さんのある種類の作品群は、かなりそこに踏み込んで描こうとしているんじゃないでしょうか。
潔く柔く』は、この人苦手だなー、などと思いつつ、あとになって「苦手とか思って申し訳ない」とか反省しながら読むのも楽しかった。
この『あなたのことはそれほど』も、そういう読み方できたらいいな、と思いながら読みました。続きに期待しています。

 つくしとたんぽぽ

起きたら春になっていたらいいのになと思う。
春の土のやわらかさ、日向のにおい、しっとりした花びらの重さ。幼稚園のころ、帰り新津も通る川沿いの土手にはたくさんつくしが生えていた。つくしは春の代名詞のようによくもてはやされているけれど、たくさん生えているのはちょっと気持ち悪かった。気持ち悪いといえばたんぽぽのくきからでてくる白い液体で、子どものころはあれが黄色と赤の入れ物に入った、あのボンドの元になると思っていた。母親がそういっていたのだ。
たぶん適当にあしらうためにいったことなのだと思うけれど、そういった適当な嘘をなぜか信じ込んでしまうということはあって、自分もいくつか適当な嘘をついたことはあるし、どこかで誰かがそれを信じているかもしれないなと思う。
本気で信じるということは、真実とすごく近い。ということは起きたら春だということをあっさり信じることができたら、明日は春ということもあるんじゃないだろうか。そして生白いつくしを摘みながら「つくしってたくさん生えているとちょっと気持ち悪い」と思ったりするのだ。