ピンク色のフラミンゴ

高校時代、登下校に使う電車の中から見えるマンションのベランダに、ピンク色のフラミンゴがいた。
もちろん本物のフラミンゴがいた訳ではなく、置物のフラミンゴだ。日に焼けたピンク色をしていて、くちばしがすこし黒い。
私は毎朝そのフラミンゴを確認することを習慣にしていたのだが、平行して走る線路を快速電車が通ったりすると、見えないこともあった。見える/見えないの割合はほぼ半々で、そのフラミンゴが見えた日には、なんだかいいことがあるような気がしていた。
それは私の個人的なジンクスの様なもので、その話を人にしたことは無い。

そして私が高校3年生の、受験前でほとんど授業が無くなっていた頃、そのフラミンゴは居なくなった。その奥にある窓にかかっていたカーテンも消えていたから、そこの住人が引っ越しをしたのだろうということは解った。
しかしそこにあのピンク色が無いということで、私は何かをなくしてしまった様な気がした。おおげさかもしれないけれど、そこにあのフラミンゴがいないなら、もうずっと私には「なんかいいこと」なんておこらないんじゃないかとすら思った。こんなことなら、もっと早くあのフラミンゴに対して何かするべきではなかったか。そんなことも考えた。

もちろん、あのフラミンゴがいなくなったからといって、その後の私に「いいこと」が起こらなかった訳ではない。むしろいいことはたくさんあったと思う。
ただその後も時折、今もどこかにあるのだろうあのフラミンゴのことを考えて、いつかまたどこかで見かけることができればいいのにと思ったりした。
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もうだいぶむかしのことだから、今はほとんど思いだすことも無い話だ。でも今日の気分が、あの時の気持ちにちょっと似ていたので書いてみる。まあ簡単に言えば、いつもそこにあったものがなくなるというのはさみしいけど、それが自体が無くなってしまう訳じゃないんだからね、という話。