上に書いた雁須磨子さんの短編集の中に、毎日更新のあった日記が、突然消えてしまって、なんとなく寂しくなって昔の友だちに会いに行く…という話があった(「何段BOXその1」)。
「消えてしまったページ」そのもののお話ではなく、気持ちの背景として出てくるのを読んで、小説や漫画に、こういう感じでインターネットの話がでてくるのって、初めて読んだような気がした。
→
長らく読んでいたところが、なくなったり、更新停止したり、ってことに出くわすと、結構動揺する。でも、その気持ちは、インターネットを使ってなかった頃でいったら、どんな気分だったんだろう…って考えていて、思い出したのがピンク色のフラミンゴのことだった。
私は毎朝そのフラミンゴを確認することを習慣にしていたのだが、平行して走る線路を快速電車が通ったりすると、見えないこともあった。見える/見えないの割合はほぼ半々で、そのフラミンゴが見えた日には、なんだかいいことがあるような気がしていた。
http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050227/p1
あのフラミンゴの置物がなくなってしまった日のことは、今でもよく覚えている。
他にも、例えば見知った店がなくなってしまったときとか、昔住んでいた家がなくなってしまったりとか、目印にしていたものがなくなってしまう寂しさと、404 は似てるんじゃないかなと思った。
違うのは、その向こう側にはちゃんと人がいるっていうことで、できれば今も、元気でいればいいなとか思っていて、
だからたまに、とまったままの日記が更新再開されたり、メールをいただいたりすると、向こう側がちゃんとあったことがわかって、すごく嬉しい。
この日記も、なんだか同じことばっかり書いているような気がするなー、とか考えだすと手が止まったりもするんだけど、それでも、誰かにとって何かの目印になれたらいいなとか、思った。