暗い僕と彼女

スタジオボイスにのってたフィッシュマンズ特集をちらりと立ち読みしていたら、それぞれがカヴァーしてみたい曲を挙げる、という流れがあって、そこで佐藤君があげていたのが「トランジスタ・ラジオ」だった。RCサクセションの名曲。

うー 授業をサボって
日の当たる場所に いたんだよ
寝転んでたのさ 屋上で
タバコの煙 とても青くて
内ポケットにいつも トランジスタ・ラジオ
彼女 教科書 ひろげてるとき
ホットなナンバー 空に溶けてった
トランジスタ・ラジオ』

屋上で寝転んでいる男の子と、教室で教科書を広げているであろう女の子。
そういえば、私の大好きな曲の中には、こんな風に「好きな子との対比」を描いたものが多いような気がする。

ただただ楽しい あなたが好きさ
暗い僕を 盛り上げるからね
『チャンス』

一般論にする必要なんてないけど、もしかして、ある種の男の子というのは、自分と「違う」ということに心強さを感じたりするものなのかもしれない。そういえば以前、「健康さ」が好きだと言ったひとがいたけど、あれも、もしかしてそういうことだったのかなぁ。
なんて考えていたら、この情景を女の子の側から描いた場合、自分との異なりより「共通点」の方に目がいく物語の方が多いような、気がした。個人的には、性別が違うなんてこと以前に、それぞれ違うだろうと思うけど、似た者に惹かれる傾向は確実にある。
ただ、なんとなく男の子の「理解されたい/でもされたくない」みたいな葛藤もわかるような気はして(共感とは別に)、それは上に挙げた歌詞の雰囲気の中にも、ちょびっと感じるものだったりする。うまい例が見つからないのだけど、わかるはずがない、けどそれがいい、みたいな。
でも例えば、『チャンス』の数年後に書かれた歌詞を見るとこうある。

死ぬほど楽しい 毎日なんて まっぴらゴメンだよ
暗い顔して 2人でいっしょに 雲でもみていたい
『DAY DREAM』

このふたつの歌詞には、すごく距離があるような気がする。
でもそれを考えるなら、ここからじゃない方がいいような気がするので、何か良いたとえが見つかったら改めて。
でもなんとなく「負けたくない」から「負けたい」へ、という感じかなぁって気がしている。