「デリケートに好きして」

魔法少女シリーズ第1作めであるところの、『魔法の天使 クリィミーマミ*1が、わたしはほんとうに大好きだった。最近ちょっと見返したりしてたんだけど、当時小学校にあがったかあがらないかくらいだったはずなのに、その後何度も見返したせいか、いくつもの場面で、その物語とは関係なく、例えばポジネガのやりとりひとつとっても、懐かしすぎてなきたくなった。「優は優だもん」(鼻声で)とかはやばすぎる。

それと同時に思いだしたのが、クリィミーマミの主題歌『デリケートに好きして』の歌詞に対して感じていた、もやもやとした違和感のことだ。
まずは、タイトルにもある「好きして」というフレーズ。今でも歌ってみたりするたびに、この「好きして」を繰り返すことになる歌の終わりが気恥ずかしくて仕方ない。ただ、今思うとこれは「愛して」に対する「好きして」なんだろうし、小学生が主人公で小学生女子をターゲットにした物語の主題歌としては、気が利いてるのかもしれない。それにこの「好きして」の語感こそが、曲を印象的なものにしてるんだとも思う。いや、わかんないけど。

もう1つは、今でも気になってるもやもやだ。当時*2、たしか講談社から出ていたマンガ雑誌に、クリィミーマミの漫画版が連載されていたんだけど、その付録冊子のマミ特集ではじめて私は『デリケートに好きして』の歌詞を読んだ。

男の子と違う女の子って
好きと嫌いだけで普通がないの

あらためて、こんな歌詞だったのかーと思って読みながら、どうもなんか腑に落ちないもやもやが残った。私は当時島田君のことが好きだったので*3、好きについてはなんとなくわかったような気がしていたけれど、でもそれ以外が嫌いかというとけしてそんなことはなかった。スナック菓子ならだんぜんポテトチップスが好きだけど、カールだってスコーンだって、あれば喜んで食べる。ただ自分で買うならポテトチップスなだけだ。
そして、年をとるごとによりいっそう、その「好きと嫌い」の境目は広くなっていくような気がしている。ほとんどのことには「いいところ」も「わるいところ」もあって…ということは大切にしたいと思っているはずなのに、そのことで自分の好き嫌いすら、判断することにためらってしまうのはなんか違うような気がしている。そして、もしかしたら自分には、どっちでもいいことばっかりなんじゃないかなとか、何かに執着できるのかなとか、たまに心細くなる。
だからこそ、ライブ見ながら満面の笑みになってる自分とか、新刊並んでる本屋でつい動きが早くなっちゃったりとか、マミ見ながら涙ぐんだりしてる自分が、冷静に考えてみるとちょっと(ちょっと?)きもちわるかったとしても、無条件に楽しい瞬間てのは、ほんと特別なものだなとか思ったりするのです。

ところで、クリィミーマミの漫画連載してた雑誌、ずーっとキャロットだと思ってたんですが、これ書くにあたって検索してみたら、「キャロル」で動揺した。こびりついた人参イメージをどうすればいいのか…!

*1:http://pierrot.jp/title/magicgirl/cate01.html

*2:といってもアニメ放映終了後だった気がするけど

*3:http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20071107/p1