ガールズ・ブルー

ガールズ・ブルー (文春文庫)

ガールズ・ブルー (文春文庫)

自分と、他人の目を通した自分との間に現れる齟齬を、初めて意識したのはいつ頃だっただろうか。年代というラベルを貼られることにも苛立ち、同時にいつまでもこの自分でいたいと思うような、身勝手な全能感と、無力感を持て余していた日々の物語。

今がいい。今が楽しい。ずっとこのままでいたい。時が、還流すればいいと思う。流れ去っていくのではなく、ぐるぐると、ただ、巡り流れてくれればいい。あたしたちは、いつまでも今のあたしたちだ。
ときどき、本気でそう思う。同時に、突き抜けたい、遠くに、高く、この街を突き抜けて、今までと全然別の自分を見つけたい。そうも思う。真反対にある二つのものを、同時に手に入れる魔法ってないだろうか。/p72

かつての自分は「今が楽しい」というよりは、今の自分がなくなるのがこわい、と思っていたけれど、でも主人公のこの気持ちを、照れくさく思うくらいには身に覚えがある。その感覚だけで、いとおしく思ってしまうような小説というのはあって、例えば佐藤多佳子の「サマー・タイム」や「黄色い目の魚」、角田光代の「学校の青空」、藤野千夜の「少年と少女のポルカ」、それから、山田詠美の「放課後の音符」も、確かそういう小説だったと思う(記憶にないけれど、流行った気がする)。
このいとおしさ、というのは、同年代として読んで感じることの強さとはきっと違うのだけど、それでいいと思える。

だから、油断するな。美咲はそう言ったのだ。睦月じゃないけど、みんなが期待する美しい物語に嵌めこまれたら、逃げ出せない。
(略)
捕まりたくない。演じたくない。あたしは、主役を張りたいのだ。演出も脚本も主演も、全部あたしがやる。あたしに役を与えて、演じろと命じるものを、かたっぱしから蹴っ飛ばしたい。他人の物語の中で生きていくことだけは、したくない。/p66

こう宣言してもなお、物語から逃げる物語にならないところが、この主人公/物語の魅力的なところだと思った。