「SELF AND OTHERS」

ichinics2008-01-15
監督:佐藤真

長らく見たいと思っていた佐藤真監督の「SELF AND OTHERS」が、シネセゾンでやっているドキュメンタリーの特集上映でかかるというので見てきた。
佐藤真監督に学んだ友人から、写真家の牛腸茂雄さんについてのドキュメンタリーでね、と常々話には聞いていたものの、どんな作品なのかイメージできずにいたのが、実際の映像を見て、なるほどと、腑に落ちたような気がした。
この作品には、佐藤真の存在が表立っては描かれない。自分と対象を場にあげて描くドキュメンタリーではなく、牛腸茂雄の視線に焦点を絞り、まなざしの感触をフィルムの上に再現しようとした、その試みこそがこの映画「SELF AND OTHERS」なのだと思う。
ただ、それは監督自身の不在をあらわすものではない。そこには、牛腸茂雄と佐藤真という二人の視線の間にある、何か、が写っている。それは、編み目のような空白であり、言葉でとらえきれない ― やはり「何か」としかいえないものだ。
私が牛腸茂雄さんの「SELF AND OTHERS」という写真集を見たときに感じたのは、そこに写された人の視線が見ているはずの、牛腸茂雄という写真家のことだった。映画の中で、「SELF AND OTHERS」の中に写っている幾人かの人の声が流れる。自分の写った写真について語るその声を聞きながら、写真というものは、撮る、その瞬間というよりも、そこにあった「何か」を後から発見するものなのかもしれないと思った。
その時間を越えて、この映画には声がある。聞いた瞬間に、疑いようもなく、ああこの人の声だ、と感じる声があって、それは見るものの目の前に突如として突き出された手のように、「何か」の感触を残してふいに去る。

「明日の天気はどうですか」

とその声は言った。
今日の日は、曇天。「SELF AND OTHERS」の最後にある、あの写真を見ながら、撮られた人々が散り散りに解き放たれていくような気分になったのを思い出した。

関連

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20071119/p2
ちなみにこの文を書いた時に見てた写真集もポートレイト集だったのだけど、「SELF AND OTHERS」とは全く別の印象を受けたんだった。その差はなんなんだろう…。「SELF AND OTHERS」を見たのがずいぶん前のことなので、もう一回手に取っていろいろ考えてみたいなと思う。