100年後の Google ストリートビュー

グーグルは5日、無料の地図検索サービス「グーグルマップ」に、地上から見た写真が見られる機能を追加した。従来の航空写真に加え、360度のパノラマや空を見上げた角度の風景を表示でき、待ち合わせ場所の検索といった利用を見込む。
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY200808050406.html

先日、日本でも公開された Google の新サービス「ストリートビュー」を見てみた。地名や住所から地図を検索すると、地図と一緒にその場所の風景まで表示されるというもの。
Googleの車が360度カメラを載せてこまごまと撮影してまわったらしく(というとなんだかアナログな気がするけども)、今はまだ都心部のみではあるものの、ずいぶんと細かい道まで撮影されていて驚いた。
そのストリートビューで私が最初に検索したのは、やっぱり地元だった。こういうときは、不思議と見たことのない場所よりも見たことのある場所を探してみたくなる。おお、確かにうちの駅だ。なんか変な感じ、と思いながら、歩き慣れた、最寄り駅から家までの道を辿ってみる。途中、いつもの場所に、父さんの自転車を見つける(駅前にある親戚の家の前にとめさせてもらっている)。ということは、これが撮影されたのは平日なんだなと思う。そして、その路地を抜けたところに、桜の木が立っているのをみて、あー、と、なんかのスイッチが入ったような気分になった。
ここには、もうこの景色はない。この桜の木は、今年の桜が終わってすぐに切り倒されてしまったらしい、ということを、私は先日久しぶりにこの場所を歩いて知ったのだった。

ストリートビューの本来の目的はたぶん、その場所の景色を検索可能にする、ということだろう。けれど、私の第一印象としては、ある一瞬を一続きの画像で切り取っているという事の方に、なにかがあるような気がする。最初に起こる「問題」(主にプライバシーについて/私も万が一、リアルタイム配信になんてなったら絶対嫌だなと思う)もそこにあるだろう。
ただ、現状のストリートビューを見ていて思うのは、いつか、もっとずっと後に、これを見てみたいということだった。
見ていると、都内の景色でも、雪が積もっている場所もあれば、桜の咲いているところもあって、空模様も様々だということに気付く。だからわりと長期間に渡っての「瞬間」なのだと思うけれど、それでも、ストリートビューで見知った場所を歩き続けていると、なんだか世界全体が一時停止したような、動いているのが自分だけであるかのような、気分になる。
自分が写り込んでいない(幸いなことに?)せいもあるのか、この景色のどこかに自分がいるということよりも、見ている自分がそこに入るような感覚の方が強い。もしもこのように、世界の隅々まで写すことができたなら、それはもう一個の別の世界なのではないか、という気さえする。

ここに写っているものは、この先どんどん失われていくだろう。その桜の木のように、建物は取り壊されあたらしく建てられ、道も変わるだろうし、そこに写っている人は移動し、年をとる。だからこそ、この一続きの瞬間は特別なものになっていくのではないか。
たとえばあと10年後、50年後にもしこれを見る機会があったら、私はやっぱり歩きなれた道をたどりながら、誰かに今のことを、話したいと思うだろう。そしてできることなら、100年後にこれを見た人が、どう思うかを聞いてみたいと思う。