歯磨きの視界

寝る前には洗面所へ行き、歯ブラシを左手に、右手に歯磨き粉のチューブを持ち、そのフタを開いて左手の歯ブラシのブラシ部分に歯磨き粉を、あんまりたくさんの歯磨き粉をつけてはいけませんよ、といういつかどこかで聞いた忠告を反芻しながら5ミリ程度だしてチューブのフタを締め、パチンと音がしたことに少し気をよくしながら右手に歯ブラシを持ち直し、さて、と鏡に向かう。そして目を閉じる。
この、長年繰り返してきた作業をたどりながら昨夜、なんでここで目を閉じるんだろうという疑問におそわれた。
奥歯、奥歯の奥、歯の裏など、鏡で見やすい前歯以外は目を閉じることで、あくまでも気分ではあるけれど、口腔内に目を移動させ、その様子を想像しながら磨くのがやりやすいような気がしていた。
しかし、これまで合宿や出先の洗面所や友達の家に泊まりに行き、目を閉じて歯を磨いている人なんて見たことなかったし、私も人前ではなんとなく、目を開いたまま、鏡にうつった自分の視線を気にしながらも、もくもくと歯を磨いてきた。
考えだすと落ち着かなくて、目を開いたまま鏡に向かってもみたけれど、結局いつのまにか、視界は(想像の)口の中にあった。

ところで今日、長いこと積んでいたイーガン『TAP』を読み始めたのだけど、その中に、自分の身体から視覚だけ切り離されてしまう「視覚」という短編が収録されていた。その着想を、イーガンその人も歯磨きの際に思いついたのだとしたら面白いのにな、とか思ったりしたけど、まあそんなわけないか。