想像と五感

イーガン『TAP』に収録されていた短編「視覚」は、事故がきっかけで視覚が身体の外側へ離脱してしまった男の話で、これを読んでからずっと、視覚を切り離すということについて考えている。この前、歯磨きの時に目を閉じて口の中を想像している、ということを書いたけれど(id:ichinics:20090222:p1)、髪を洗ってるときだって手のある位置を想像しているし、道を歩く時にも次の曲がり角の向こう側を想像していたりする。
そんな風に、視覚は想像することの得意な感覚だと思うんだけど、それなら他の五感はどうだろう。
味覚の場合、「味」を想像するということはできなくはないけれど、あんまり鮮明じゃないし、むしろそれが鮮明だったら食欲がずいぶん薄れそうな気もする。だって食欲って、空腹はもちろん、味を確認したいという欲求でもあると思うし、だからポテトチップス食べてるときなんて、一枚一枚味の濃さが違うものだから、常に、次の一枚こそがベストの味付けなのではないか…とか思いつつついつい食べ過ぎてしまいます。ともかく、匂いがあればもうちょっと浮かびやすいような気がするけど、味だけを思い描くのはわりと難しい。
それなら嗅覚はどうかっていうと、「嗅覚の記憶は鮮明で…」とかいう台詞を昔なななんさんのマンガで読んだことがあるけど、たしかに季節毎の匂いとかでこう、ぶわっと思い浮かぶものはある。ただ、それはあくまでも嗅覚をきっかけに思い浮かべる記憶であって、じゃあウナギのにおいを想像しよう、としてもなかなか宙に絵を描くようで心もとない。たしかウナギ焼いてるそばでご飯食べるって、落語のお話があったけど、ウナギはやっぱり食べたい。
じゃあ聴覚はどうだろう。嗅覚に比べたら随分想像しやすい気がする。特に聞いた事のある音だったらかなり鮮明に思い起こす事が出来るんじゃないかと思う。ただ、その再現性は個々人によって異なるのだろうし、同じ音楽を鼻歌で歌ってみても、ボーカルをとる人だけじゃなく、ギターをとったりベース音だったりする人がいるのを考えると、同じ音楽でも人によって全然聞こえ方が違うんだろうなーってところが面白い(ちなみに『TAP』には聴覚の話も収録されていた)。そして、やっぱり聞いたことのない音、旋律については、想像できる人もいるだろうなと思うけれど、私には難しい。
最後に触覚だけど、触覚で何かを思い描くってことは、指切って痛い、とかそういう感覚を思い出せるかどうかってことなんだと思うけど、それはだいぶ難しいような気がする。「さっきボール紙で指切っちゃって…」とか言ったときに「あーやめて!」って思う痛さって、痛みよりも先に「指先の映像」がきてるような気がする。

そんなふうに、他の感覚に比べて「視覚」は想像することが得意である(ように感じる)のはなぜだろう。「ウナギ食べたいなぁ」と思ってまず浮かぶのはウナギの匂いでも味でもなく、その映像であることが多いのはなんでだろう。
でも、だからこそ、普段生活している中では、視覚に頼りきっている部分もあるような気もするし、五感以外にも、なんとなくな感覚(視線を感じる、とか)はあると思うんだけど、
ここにないものを思い浮かべるときに、それが見えていなくても映像のように感じるのは、普段から視覚に頼っているからなのか、それとも「考える」ということは言葉だけじゃなくて映像でもできることなのか、とか、michiaki さんのこのエントリ(http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20090303#1236011872)を読んでからいろいろ考えています。
もうちょっと。

TAP (奇想コレクション)

TAP (奇想コレクション)