ブログの閉鎖

ここ最近、ブログの閉鎖について言及されているところをいくつか読んで、前に書いた「終わり方」という文のことを思い出した。あのときいただいたmichiakiさんのアドバイス(?)を、今もわりと意識してたりするんですが、そういうとこも含め、今の自分の何割かは、いつも読ませてもらってるブログやサイトの文章から受けた影響でできてるってことなんだなぁとか改めて思う。

ただ、「終わり方」に書いた気持ちは今もあんまりかわってない。あれを書くきっかけになったサイトのことは今もよく思い出すし、もしかしたら別idで復活してたりするのかもなーとか思うけど、あったとしても見つけられる気がしない。ということは、ブログ/サイト閉鎖にまつわるさみしさには、この人がもし新しい場所で新しいものを書きはじめても、私に知るチャンスはないだろうってことも含まれてたんだと思う。遠いなぁーということを、改めて思い知らされる感じ。
だから、要は「転校しちゃったあの子のことが好きだった」とか、そういう感傷なんだと思います。話しかける勇気はなかったけど、あの子が笑ってるの見るだけで楽しかった……なんて、自己完結した片思いすぎてちょっとひどい。
ただ、この一年半くらいの間には、新しい場所を教えていただけたこともあったし、思いきって話しかけてみれば、そういう可能性もあるんだなぁっていうのは個人的にとても嬉しい発見(体験?)だった。

でもまあ、要するに私の意識は相変わらず受け手側なんだ。そして実際自分がなんらかの形で閉じよう/終わらせよう、と思ったときのことを想像してみると、なぜ自分の意識が受け手側なのか分かったような気がする。それもまたよしです。