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天気の話題

日記

今年の1月の東京は比較的暖かかったので、自宅でエアコンを使うこともほとんどなく、机に向かっているときだけ電気ストーブをつけたるくらいでじゅうぶん足りていた。
寒いのが苦手な自分は外出時のウルトラライトダウン(ユニクロ)が命綱なのだけど、今年は1月中だというのにウルトラライトダウン無しで出かける日もそれなりにあって、つまり気分はほとんど春だった。

「まだ1月だっけ。今年は冬が終わるのはやかったねぇ」なんて話してたのは忘れもしない1月29日のこと。あの日はほんとうに暖かかった。
そこから数日後に2月がやってきたのですが、やっぱりというか案の定というか、
2月は完全に冬でしたね。

手がかじかむというのを久しぶりに体験したし、ちらりと雪やみぞれも降ったし(積もる程ではなかったけど)、あっそうそう冬ってこんな感じだった…って目が覚めた気がしました。
寒いのの何が嫌かって、まぁ寒いことなんですが、その次くらいに「寒くて身体に力が入る」というのがあります。力が入ると肩が凝る。肩が凝るとつらい。それが自然の道理ってやつですよ。
なので最近は、出来るだけ寒さを受け入れ、身体に力をいれずに過ごすことを目標にしているのだけど、これがなかなか難しいです。

ただ、最近嬉しいのは少しずつ日が長くなってきたこと。
最寄り駅の駅前広場にはだいたい10羽くらいの鳩が常駐しているんですが、出勤時間が薄暗くて寒かった頃はあまり見かけなくなっていたのに、最近また朝に見かけるようになった。
日が射している場所に膨らんだ状態で座って(この広場の鳩を見るようになってから、鳩ってよく座るんだなぁと知りました)日向ぼっこをしている姿はなかなかかわいい。
朝が明るいと少しは起きるのが楽になるような気がしますし、日向を選んで歩けば暖かい。

……というような内容を最近はよく時候の挨拶として話しています。

そういえばタマフルで「3月は春なのか冬なのか特集」をやるそうですが
私は「3月ってやっぱり春だな、あったかいし」と言うつもりでいるので、はやく暖かくなるといいなぁと思っています、

楽しかった話

先日、初めて同人誌というものを作ったのですけどとても楽しかった。
もっとはやくやってみたらよかったなとも思ったけど、そういう方向に熱が向かなかったのでそれは仕方がない。ものごとって色々タイミングですよね。

以下少し覚え書きを書いておきたいなと思います。

私はわりと石橋を叩くタイプ(つまり小心者)なので、とりあえず参加するイベントのひと月前に入稿するために諸々の準備を3か月前くらいからはじめることにしました。結果としてほぼ予定していたスケジュール通りに進行できたのですが、原稿を作ること以上に、初めて使うもの(イベントに参加するための諸々とか印刷所の見積りとか入稿データの作り方とか)の仕様を読んでそれにあわせて準備をすることに手間取った気がします。
ちなみに1番手間取ったのはサークルカットです。ふだんカタログを熟読したりはしないので、あれにどういう要素を盛り込めば良いのかってことがまったくわからなくて困った。

でもまあそういうのは予定ができないとやらないし、一度やってみればだいたいわかったりもすることなので、次はそこをショートカットできるんだなと思うと気が楽です。なんて自然と「次」を考えてしまうものなんだな、とも思いました。

参加にあたって1番心配だったのは、左右の人と挨拶する際に本を渡すしきたりがあるという噂は本当かということ(結果そんなイベントは発生しなかった)、島中の席からはどうやって出入りするのかということ(買い物しに行っているときには気づかなかった出入り口がちゃんとあった)で、あっさり解決したのはいいのだけど、問題はそんなことではなかった。

私は自分の書いたものをわざわざ買いにきてくれる見ず知らずの人がいるということにあまりリアリティは感じていなかったのだけど、
この机の上にあるこの本を目指して歩いてきてくれる人が本当に存在するということに、とても嬉しいのはもちろんだけど、ちょっとこわくなった。

この日記を続けていることにしても、私はわりと自己満足をモチベーションにするタイプなんだと思います。
それはそれで自分を動かすには便利なんだけど、でも自己満足の域を出れないのも確かで、
その時、私はちゃんと買ってくれる人がお金を出すに価するものを作れたのかな、という事が気になりはじめてしまうのがこわいと思った。
でもまあそれを気にするのは悪いことではないと思うし、どうだったかな、うまくできたかなと思いながら、次はもうちょっとうまくやりたいと期待してもいる。
そんなわけで、予定を決めてそれに向けて準備する文化祭感と、そうやって準備したものを手に取ってくれる人がいるということの有り難みとが相まったイベントで、
まだちょっと現実味がなくてフワフワしてるけど、かなり楽しかったのは確かだと思います。

改めて、何か新しいことをやってみるというのはいいなぁと思ったという話でした。
慣れないことに苦戦するっていうのは、初めての国に旅行しにいくみたいな感じですよね。
地図がちょっとでもあたまに出来上がると、また行きたくなる。

あみちゃん

日記

私にはあみちゃん(仮)という同じ年の幼馴染がいる。
家は隣で、幼稚園は違ったけれど小学校は一緒だったから、毎朝あみちゃん家の黒い門をくぐり、「あーみーちゃん、がっこいこ」とあの定番の節で呼びに行くのがお決まりだった。
けれど小学3年生でクラスが別れてから、私たちは急激に疎遠になった。今となっては小学校であみちゃんが誰と仲良しだったのか、まったく思い出すことができない。
そして私が中学で私立に行ってしまってからは、ただの一度も顔を合わせて話をしたことがない。
今も実家は隣にあるのに、だ。

あみちゃんは感情の起伏の激しい子だった。
怒るとよく噛み付くので、私の腕にはしょっちゅうあみちゃんの噛み跡が青あざになって残っていた。
それからあみちゃんは独占欲の強い子だった。
私があみちゃん以外の友だちと遊ぶのを嫌っていたので、私たちが遊ぶときはいつも2人きりか、あみちゃんの妹や私の弟が混ざるくらいだったし、お互いの誕生日会に呼ぶのもお互いだけだった。
そしてあみちゃんはとてもきれいな子だった。
色が白くて唇は赤く、少し茶色がかった髪は細く艶やかだった。

幼稚園の頃は、昼間の時間をほとんどあみちゃんと過ごしていた気がするし、それが当たり前だと思っていた。
けれど小学校にあがると一気に世界は広くなった。
少し離れた場所の幼稚園に通っていたため、その頃の行動範囲に同じ年は私たちしかいなかったけれど、小学校になれば世界は広がり、団地まで行けば同級生はたくさんいた。
しかし、私が新しくできた友達と遊ぶ、といってもあみちゃんは絶対についてこなかった。
その頃、あみちゃんは高学年のお姉さんたちにかわいがられていて、私は「あみちゃんの友達にしてはかわいくない」とその高学年たちからは仲間はずれにされた。

やがて成長とともに、どうやらお互いの親同士はあまり仲良くないようだ――という事情も察するようになり、私たちは徐々に行動を共にすることが減っていった。そして3年のクラス替えでついに、その縁はほぼ途絶えたのだった。

正直に言えば、あみちゃんとの縁が切れたことにより、私は自由になったような気がしていた。友だちと遊ぶことに遠慮しなくて済むようになったし、誕生日会にあみちゃん以外の友だちを呼ぶこともできる。それに噛み付かれることももうない。

けれど今になって当時のことを思い出してみると、私の幼い頃の思い出の多くがあみちゃんとともにあることも確かなのだった。
建築中の家に忍び込んで固まる前のコンクリに足跡をつけまくって怒られたり、オジギソウで延々遊んだり、あみちゃんのお父さんのパソコンを触らせてもらったり、2人だけの秘密基地を作ったり。
今思えば私が憧れ続けている「サーティーワンのアイスケーキ」もあみちゃんの誕生日に出されているのを見たのが憧れのきっかけだった。

あまりにも長いこと離れていたせいで、私はあみちゃんのことをすっかり忘れてしまっていた。
それどころかある程度まで隣の家に住んでいたはずなのに、大人になったあみちゃんがどんな顔をしているのかもわからない。
でも、子どもの頃の思い出には大抵あみちゃんがいて、例えばあみちゃんが私の腕に噛み付くときに、力が入りすぎてちょっと顎が震えてる感じとかは、はっきりと思い出すことができる。

私はたぶん、あみちゃんを置いてきてしまったような気がしているのだと思う。そんなのは大きなお世話で、あみちゃんはあみちゃんで大人になって、もう誰かに噛み付いたりすることもないのだとは思うけれど、
でも朝、学校に行くときに迎えに行くのは常に私の役目だったから、私にはそれを「やめた日」があるはずで、
できることならあみちゃんが、そんなことをすっかり忘れて、幸せに暮らしていればいいなと思う。

今後会うことがあるかはわからないけれど、私の幼馴染はあみちゃんだけだった。

「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」

見た movie

昨年は夏休み中にシリーズを予習して『フォースの覚醒』公開に臨み、結果とても楽しく見ることができたのですが、それもこのビッグウェーブに乗りたいという気持ちのなせる業であり、実は私はスターウォーズシリーズに対してそれほど思い入れがあるわけではない。
なので今回の『ローグ・ワン』はスピンオフ的な内容であるときいて、中々腰が上がらずにいました。

けれど結果的にこの『ローグ・ワン』はとても楽しかった。むしろ個人的には今までみたスターウォーズシリーズで一番好きかもしれない、とすら思いました。

『ローグ・ワン』は、『新たなる希望』のオープニングロールにあるお話。
デススターの設計者として父を奪われた娘ジンが、成長して父の思いに応え、その設計図を盗むまでのお話です。
最初は巻き込まれる形で同盟軍に関わることになった主人公が、やがて仲間を得て目的を達成するのですが、
とにかく後半に描かれる、スターウォーズの物語の礎となった人々の戦いが本当に熱かった。

私は孤軍奮闘している主人公に仲間ができる、という場面に本当に弱いのですが、命令に従順であるがゆえにジンを裏切るような行動をとっていたキャシアンが初めて自分の「意志」を優先する場面には本当にぐっときてしまいました。
見に行ったのは仕事初めの週末で、たった2日しか働いてないのにやたら疲れたな……なんて思っていた日だっただけに、なんか頑張って生きるぞ、という気持ちになりました(素直)。

しかし何よりもぐっときたのはジェダで主人公と出会う、チアルートとベイズのコンビです。
チアルートはフォースを信じ、ジェダイに憧れる盲目の戦士。だけど誰よりも強く、戦う姿は舞っているかのように美しい。
そして何かと言うとフォースに祈るチアルートに対し、相方のベイスは基本茶化すような態度をとっているのですが、その軽口が最後にベイスが口にする祈りの言葉に繋がるという展開は猛烈にブロマンスだな……と思いました。
「気をつけろよ」と声をかけるベイスに、「お前がいるから大丈夫だろ」と返すチアルートの、その背中を預ける信頼関係の描き方は、なんとなく香港映画的だなとも感じました。

彼らの戦いの結末は既にこの先の物語が描かれているため、ある程度予想がついてしまうのですが、この作品単体で見たとしても、彼らの戦いに切実さを感じることができるくらい「デススター」がひたすら恐ろしく描かれていたのもよかった。自分があそこにいたらあっという間に死にます。
それから、デススターをとめる鍵となる言葉が父と娘の思い出に繋がっている、というシークエンスにはふと『ハイペリオン』を思い出したりもしました。

本当に面白かったし大好きな作品になりましたが、しいて言えばチアルートのアクションがもっとみたかったし、私はチアルート&ベイスのスピンオフが見たいです…!

成人の日

日記

1月9日は、近所の友人たちと毎年恒例になっている初詣に行った。目当ての寺に向かう道中、あちこちで成人式帰りと思われる晴れ着の若者をみかけ、自然と会話が成人式のことに及んだ。

私は成人式には行かなかった。中学から私立に進学したため、地元の同級生とほとんど付き合いがなかったことが理由で、その日は大学の友人たちと「新成人無料キャンペーン」をやっていた大学の沿線にある遊園地へ遊びに行ったのだった。
大学には、進学にあたって住民票を移してしまったせいで地元の成人式の招待状が届かない、という人たちがたくさんいた。
そのせいか、真冬の閑散とした遊園地内で何度も、同じ大学の別のグループと鉢合わせしたりもした。
あの日私は初めて着る緑のカーディガンを着ていて、それは思ったよりサイズが小さく、それ以降一度も着ることはなかった。なんてどうでもいいことを思い出す。

初詣を終えて、駅のホームに立ったところで、携帯にメールが来ていたことに気付いた。
見るとそれは、かつて成人の日に一緒に遊園地に行った友人からの約1年ぶりのメールで、そこには「今まで自宅でしかネットを出来なかったけれど、この度ついにスマートフォンを買いました、まだ使い方がよくわからないけれど、便利だね」ということが書かれていた。
そういえば彼女は学生時代もPHSや携帯の類を持っていなかった。それなのにどうやって連絡をとっていたのか、今ではよく思い出せない。
こうして連絡手段が発達した今も、彼女とのやり取りはいつも途絶えがちで、思い描く顔は20歳の頃のままだ。

気軽に会いたいねと言えるような距離に住んでいないことはわかっているので暫し返信に迷う。ただ丁度この日にメールが来るなんて出来すぎている気もして、成人の日のことを覚えている? と返信を送った。