方南町

言葉を読んでいる夢を見た。本か、手紙か、ネットか、ともかく字をたどりながらずっと、声が聞こえていた。知らない声。でも誰だかわかっていたような気がする。「方南町」を「ほうなんのまち」と読んだところで、それが声だということがわかる。視覚音との違和。
「ほうなんのまちで」とか「ほうなんのまちに」とか予想外とか…、方南町が何なのかは、目が覚めたときに忘れてしまった。
ただ、その何かについて書かれた文を読みながら、私の思い描く場所の外には海が見えて、なんだか楽しいことがあるような気がした。はやくそこへ行きたい。そんな気分で目が覚めた。

で、起きてすぐ調べてみたけど、当然、方南町に海はない。夢の中だと、横浜とかそんな感じだったけど。でも一回行ってみようかな。住宅街かな。

 バンド対決

どこかの集会所。Rがバンドで演奏している最中に「じゃあこいつらのバンドにも演奏してもらおうよ」と司会をしていた男性がいい、セッティングがすすめられる。Rが歌っているのは60年代風のポップスで、衣装も曲調もかわいいのだけど、男性陣には受けが悪いみたいだ。
演奏が終わると舞台前方にあった低い敷居がひらき、「こいつら」といわれたマッシュルームカットの男性二人組がRのバンドの前に立って演奏をはじめる。コミカルな動作で場内が笑いに包まれる。が、Rのバンドも演奏をやめない。
二つの音楽が重なりあって、状況が混乱してきたところで、チャイムがなってみんな授業を受けに行く。正面の舞台が割れて、現れたのは教習所のコース。ここにいたのはみんな運転免許をとりにきている生徒だったようだ。

何の影響やら、さっぱりな夢だったけど、たぶん目覚ましがうるさかったんだと思う。

 船でロシアへ

船着き場にいる。レンガ造りのてこぼこした半円形の広場を囲むように道路があって、その向こうに錆びたゲート、奥に灰色の海が見える。車の往来は少なく、まだ早朝のようだ。
ここはたぶんロシアだ、と思う。携帯電話を出して、電話をする。その相手に、私は会いに来たのだ。電話が繋がって、英語で挨拶をする。「ついたよ」というようなことを英語で言うと、彼女は「英語は得意じゃないので日本語でお願いします」とカタコトの日本語で言う。「迎えにいくから、そこでまってて」と言われ、電話が切れる。
広場を見回す顔の動きにそって、白い息がもれる。私は広場の中央にある花壇に腰掛けて、携帯電話を握りしめる。カタコトの英語同士よりも、片言の日本語の方が、伝わっているか不安になるのは何故なんだろう。
遠くから赤い車がやってくるのが見える。不安なのは、相手の顔を知らないからだ、と思う。

この夢は「犬が星みた」の影響だと思う。なぜ今思い出したのかはわからないけど。

 亡きミュージシャンの記念館

ハワイに、尾崎*の母親と妻が経営している記念館を兼ねたホテルがあり、そこへ取材に行く。夢の中では、尾崎*となっているけれど、私は彼についてほとんど何も知らないので、詳細はめちゃくちゃだ。
そのホテルは品の良い白壁の一軒家で、応接間に大きなスクリーンがあり、来訪者はまずそこで故人の映像を見せられる。彼の母親が解説をする。彼の妻である二頭身の(ドラえもんのような)アンドロイドが客にお茶を配ってくれる。コテージのようになった客室では、彼の映像(3D映像が空中に投射されるやつ、なんていうんだっけ?)がプライベートライブをふるまってくれるというのがこの施設の目玉だ。
私はその応接間にいる人々の中で唯一彼のファンではなく、だからこそ居心地の悪さを感じながら、もしも私の好きなミュージシャンの、例えばトム・ヨークにまつわるこのような施設があったとして、私は行きたいだろうか、と考える。行きたくない、と思う。そして「亡き夫人のヌード写真を客に見せることと同じくらい悪趣味だ」と私はメモ帳に記すのだけど、目覚めて思い返すと、その言葉の使い方はおかしい、と思う。

 あったことのない人と、食事する夢

茶色っぽい内装のお店。彼がソファ側、私が通路側に座っているという位置関係は、ソファ側に座る方がなんとなく偉いという潜在意識のようなものがちゃんと私にもあったということだろう。実際に夢の中での私はやけにかしこまっていて、緊張している。あれは誰なのだろう。眼鏡と、黒い髪と、常に笑っているように見える口元の印象だけが残っていて、目が思い出せない。あったこともない人なのだから、それは知らないのか、それとも夢で見たのに覚えてないのか、どちらなのかはわからないけれど、白い半そでシャツからのびる腕ばかり見ていたような気がする。
食事のあと、同じビルの中でやっている冥王星の展示を見にいく。エアスプレーで描かれた、とてもとてもうさんくさい内装。私の前を歩くその人は、楽しそうでもなく、つまらなそうでもなく、私の感想を伺うなんてこともせずに、ただそれを見るということをしている。それって珍しいことだと私は思う。この人に対しては、楽しませなければと思わなくてもいいのだと、そう考えてとても楽な気持ちになる。