いいこと/いやなこと

ichinics2005-07-12

スピリッツの連載で「ホムンクルスの目」というコラムがある、という話を先週書いたのだけど、そこでの話「自分にとって好ましい記憶と、好ましくない記憶は別々(反対側であることが多い)の場所に保管されている、というのがこのところ気になっている。

人は記憶を空間配置しているのだけれど、楽しい記憶が集まっている場所と、嫌な記憶が集まっている領域は、その人ごとに、わりと顕著に別れている。(石井裕之ホムンクルスの目36回)

ふうん、と思って、ためしに自分にとっての好ましい記憶や好ましくない記憶を思いだしてみようと思ったんだけど、これがなかなかうまくいかない。例えば楽しかった記憶を思いだしても、そこにあるのはプラスの感情だけじゃなかったりするし、その逆もそう。そのコラムの言っていることは、もっと瞬間的なことなのだろうけれど、結局なんだかうまく思いだせず、私の中の記憶の場所は掴めないままだ。
記憶の場所がわからないことがどう、っていう話ではなくて、ただ私はここ最近のことで考えてみても「良かったこと」も「嫌だったこと」もうまく思いだせない自分にちょっとがっくりしている。
そりゃあ、毎日いろんなことがあって、楽しかったりちょっと嫌だったり、嬉しかったり悲しかったりするけれど、1つの感情で割り切れるような体験ってあまりしていないんじゃないだろうか。楽しい時間にも、その時間が終わってしまうことを考えて悲しくなってしまったりするし、楽しかったことを思いだしても、それが終わってしまったことであることにちょっと寂しくなったりする。もしかして、目の前の楽しみに力を注いでないからなんだろうか? そんなつもりはないのに、なんだろう、これは。
じゃあ嫌なことはどうだろう。と思って考えてみたけど、例えば悲しい思い出、にもやっぱり楽しかった記憶がまとわりついていて、それがあるからこそ悲しかったりする。怒ってることとかもたまにはあるけど、怒るのって疲れるし、大概3日くらい経つと怒ることも忘れてたりする。心配事も解決すれば忘れる。うーん。
そんなだから全然記憶を分けられないんだけど、いつもなんとなく、私は100%じゃないのかもしれないなんて考えて嫌になった。嬉しいことや楽しいことがあって、うまくそれに引っ掛かれるようになりたいなぁと思う。