2011年の11月17日木曜日のお昼

鍵を閉める。時計を見て、自転車に乗る。徐々に集まり群れになった人の顔が揃って信号を見上げ、またばらけていく。左手に朝日。駐輪場を出たところで、飲み屋の銀色のポストの上にコーヒーの缶がいくつか並べられている。パン屋、コンビニ、コーヒー店の前で店員と話しこんでいる女性の帽子に見覚えがある、ような気がする。定時にやってくる電車に乗り、もう一度携帯を出して時間を確認する。外の光はぼんやりとしていて、今日なのか昨日なのかよくわからない。改札を出る。コンビニのある曲がり角から出てきた台車の上で、崩れたダンボールが視界を塞ぐ。

私の記憶はよほど大雑把な書き込まれを方をしているのか、いわゆる既視感のようなものではなく、この感じを前にも見たことがあるなとぼんやり思うことがとても多く、そしてそれはだいたい本当に見たことがあって、例えば「この人見た事ある」と思ってから、毎日同じ電車だったことに気づくとかそんな具合だ。
でも、記憶の盲点は必ずあるものだし、一度ちゃんと「それ」を意識しないと、今までの記憶に映っていたということに気づかないというのは、誰にでもあることだろう。
同じ景色を歩いている人それぞれがカメラであり同時に見る人であるという感じ。

では、そのすべてのカメラの映像を、重ね合わせたらどんな景色になるんだろうか。私のカメラには、何が映っているんだろう。
…というのは「奥村さんのお茄子」という漫画を読んだ時から、ちょくちょく考えることなのだけど、上の感想に書いたようなことがあって

「2011年の11月17日木曜日 お昼何めしあがりました?」

といつ聞かれてもいいように、もうちょっと、毎日をちゃんと見ようと思ったりした。

今朝もまたコーヒー店の前には帽子の女の人がいて、コンビ二の角ですれ違った台車は無事、ダンボールを運んでいった。帰り道、呼び込みをしながら缶コーヒーをカイロがわりに握り締めている男の人とすれ違い、ポストを見ると、まだそこに空き缶は置かれていなかった。
今日のお昼ごはんは、まだちゃんと思い出せます。