日常

7月の終盤、日毎に都内の感染者が増えていく中、職場が新たな対策をする様子もないことにやきもきしていたけれど、都内の感染者数が300人を超えたところで唐突に、再び隔日の勤務体制に戻ることが決定した。

ソイ(文鳥)がいるおかげで私の生活リズムは整っているのだけれど、私が1日中家にいることが増えたせいか、ソイの方は少しテンションが高い気がする。
黙って仕事をしている分には1人(1羽)で歌の練習をしたり昼寝をしたりとくつろいでいるのだけれど、電話をすると、声が聞こえるせいか(もしくは話しかけられていると思うのか)呼び鳴きが激しくなってしまう。
先日、オンラインで大事な打ち合わせがあった際は別の部屋にケージごと移動させたのだけれど、終わって迎えにいくと、見慣れない景色が怖かったのかすっかり細くなっていたので(緊張すると細くなる)、謝りたおし、今は何か他の解決策がないものだろうか…と考えている。遮光カバーを使えば良いのだけれど、生活リズムを乱すのも申し訳ない。
一番良いのは手に乗せた状態でいることなのだけど、そうするとメモなどがとりにくいので、何か代案を考えなくては…、なんて考えていられるのはわりと平和だ。

家で過ごすのは好きなので、この感染症予防期間もそれほど苦に感じてはいなかったはずなのだけど、そろそろこの終わりの見えなさにはしんどくなってきた。
何か思いついてもすぐには行動に移せない時間が長く、そのせいかできてないことリストが溜まっていくようで、それを数えると少し落ち込む。
先日、「はちどり」という映画をみた。あの映画のどこかに、自分もいたかもしれないと思うような良い映画で、
あの先生が言ったように、指を動かせるだけの自由はあるのだ、と思う。指を折るなら、できたことの方を数えて、やる気を出していきたい。

例えば、私は今、毎朝(小鳥のおかげで)早起きをしている。
中学生の頃の自分がきいたらきっと驚くだろう。私は長らく、早起きのできない人間で、小学校にはじまり、中高大学アルバイトとずっと目覚まし時計を複数かけるような朝だった。そもそも、早く起きることにメリットを感じないと幾度も口にしてきたし、
今も、ソイが起きるより先に起きようとはちっとも思わないけれど、起きているのに遮光カバーをかけたままなのはかわいそうだし朝一の放鳥をソイが楽しみにしているので…という理由だけで早起きができている。
この早起きはいつまで続くだろうか。
先日は「こんな時間まで眠ったのは久しぶりだな〜」と言う夢を見たのだけれど。