脳情報ダウンロード

2050年、人間は「不死身」に=脳の中身をPC保存
http://news.goo.ne.jp/news/jiji/kokusai/20050523/050522093207.qzaswo1p.html
2050年、テクノロジーの発達により、人間の脳の持つ全情報をコンピューターにダウンロードすることが可能になり、肉体は滅びても人間の意識は永遠に残る―。英国の著名な未来学者で通信大手BTの未来研究部門代表を務めるイアン・ピアソン氏がこんな大胆な予測を明らかにした。

私は脳の仕組みとかについては全くわからないのでうまく言えないけど、その「脳データ」をダウンロードしたとして、そのデータはどうやって見る(動かす)んだろうか? 人間の考えていることは、言葉や映像や匂いや音や、そんな様々な要素が組合わさって出来てるはずだ。たとえばその映像を脳が記憶していたとしても、それをビジュアルとしてアウトプットすることなんて出来るんだろうか? それとも目的は、その脳データを他の身体に移植するということ? だとしたらその身体はどこから調達するんだろうか? この記事の最後に描いてあった意識を持ち、感情をもつことが出来るコンピューターに脳をインストールするとか? ほんとうならすごい、と思うけど、自分の脳の全情報なんて自分が死んでいるならいらないし、不死身になんてなりたくないし、別の身体(もしくはコンピューター)で動く自分の脳と話をしてみたいような気はするけど、うわー、想像するときもちわるい。
そういうことを考えはじめると、やっぱり「その人」である証拠ってなんなんだろうっていうことになるんだろうな、なんて考えていたら、この前読んだ「翔太と猫のインサイトの夏休み」に出てきたインサイトの言葉を思いだした。

「翔太、こういうSFを知っているかい? ぼくらはみんな天才科学者の作った培養器の中の脳だったっていうお話なんだけど……」(p9)

私はこれを読んで即「人類補完計画か」とか思ってしまったりしましたが、それはまあおいといて、このお話はヒラリー・バトナム『理性・真理・歴史』から論点を学び、筒井俊隆「消去」(SFマガジン・ベストNo2)に影響を受けた記述だとあとがきにありました。とくに後者は読んでみたい。
ところで記事でコメントしている「英国の著名な未来学者」とあるイアン・ビアソン氏は未来学者というからには、脳の研究をしてる人ではないんじゃないのかってことはないのかな?

 ひとみしり

今日は仕事で打ち合わせ、その後ちょっとした接待の予定で朝から気が重かったんだけど、思いのほか打ち合わせが楽しかったおかげで、その後の酒の席も楽しめた。頭がきちんと回転している感じがして、気持ちが良かった。
人見知り、と自称する人にもいろんなパターンがあると思うんだけど、私の場合、それは主に会う前の気の重さだ。会ってしまえば大抵どうにかなる。ならないこともたまにあるかもしれないけど、あんまりない。でもとにかく初めての人に会うとか電話するとか言う時はすごい緊張する。というこの性格をどうにかしたい。

 うそ記憶

数年前、ふらっと1人旅をしたことがある。なんの計画も無いうきうきわくわくした感じもない、ただたんに唐突にという1人旅。しかもへたれだから三日前くらいにきちんと飛行機とホテルとって、しかも1泊2日というなんだかビジネスコースみたいな旅。(実際とったチケットもビジネスパックだった)その行き先に選んだのは福岡。なんで福岡かっていうのには、まあ大人の事情ってのがあったのですが、ともかく出かけたわけです。
その時のことを今日ふと思いだして、なんで思いだしたかっていうとその時福岡で買ったジーンズを捨てようと思ったからなのですが、そういえば、私はこれを福岡2日目に買ったんでしたよ。あれ?
ここでなんであれっと思うかと言うと、福岡1日めにはちょっと嫌なことがあって、私は落ち込んでいたわけです。なんかさみしくなって、友達に電話しようかと思ったけど止めて、外をふらふらしてみたけど、あまりにも知らない町すぎてこわくて、なんというか道路の広さとか建物の感じとかが、外国にいるよりずっと「知らない」感じに覆われていて、ご飯食べようと思って入った店では「もう閉店ですから」と断られ、すごいへこんだ気持ちで、でもやっぱ九州まできたんだからと思って1人でラーメンの屋台に入ったんです。
「ビールとラーメンください」と極力なんでもない感じを装ってオーダーし、ちょっと周囲を見回してみると、皆さん陽気に飲んでらっしゃる。いいね、なんかたのしそうね。そんな風に思ってた私の目の前にどん、と置かれたのは瓶ビール。私は炭酸が苦手なので、ビール好きだけど1人で瓶一本飲むのには結構時間がかかる。でも屋台は満員。どうしようーと思いつつラーメンをすすり、食べ終えた時にもまだビールは半分くらい残っていた。
そこで私は隣のたのしそうなグループにビールの残っている瓶をもらってもらい、それを切欠に「おねえちゃん東京から?」みたいな感じで少し世間話とかして、楽しい気分になって「福岡いいひとばっかりだったよー」みたいな気分で東京に帰ってきた。ような気がしてた。
でもたぶんそれは違う。私はふつうにビールを残し、屋台を出て、ホテルに帰り、へこんだ気分のまま眠り、こんな1人旅じゃあむくわれないと思って翌日は買い物をして、そのジーンズを買ったというのがほんとだろう。でもそんな情けない話じゃ面白くないので、屋台でビールで異文化コミュニケーションみたいなうそ記憶に塗り替えちゃったんだろう。そうだったら良かったのにな、と思ってたので思い込んじゃったんだろう。記憶って勝手だな。
そんなことを思いだして、そうだったら良かったのになを実行すれば良かったのになと思った。それができなかったのはたぶん、その日にあった「ちょっと嫌なこと」が原因だったのですが、初めての1人旅だったんだから、もっと楽しめば良かったなといまさら思いました。思えば遠くへ来たもんだ。って誰の台詞なんだろ。