ミツバチのささやき

ichinics2005-11-28
asin:B00005HBHQ
監督:ビクトル・エリセ
アナ・トレントの鞄」を読んで思いだして久しぶりに借りてきて見ました。少女が主人公の作品には大好きなものが多いのだけど、これもその一つ。
舞台はスペイン内戦直後の田舎町。アナとイザベルの姉妹が町に巡業しにきた映画「フランケンシュタイン」を見るところから物語ははじまります。
「現実を楽しむ能力を失ってしまった気がする」と手紙に書く母親、ミツバチの研究をしている寡黙な父親、そして姉妹は家族として一つ屋根の下に暮らしているのに、別々の空間に生きているように見える。
映画を見終わったアナは「フランケンシュタインは何故殺されたの?」とイザベルに質問し、彼女の答えからその存在を探し求めるようになるのだけど、その好奇心の中には言葉にならない、ただ真摯なものがあるように感じる。しかし、そのアナの思いは周囲の人々とは共有されないし、仲の良いはずのイザベルですら、アナの気持ちを理解することはできない。アナは1人で、自らの深淵へと降りていく。
家族がバラバラに行動しつづける姿は、たぶん父親が研究しているミツバチたちの動きと重ね合わされているのだと思うけれど、同時に内戦を経たスペイン国内の人々を映し出すものでもあるのだと思う。そしてアナが体験する2つの出会いは、他者、もしくは世界をそのまま「ある」ものとして認識することへの試みのようにも感じられる。
アナもイザベルもほんとに愛らしい。笑っていたかと思うと、ふと悟りきったような表情を垣間見せたりもして、特にアナには、ついその目を覗き込みたくなるような魅力がある。寡黙な物語ですが、その中には発見するものが多い。DVD再発したら買うのにな。
 *
ところで、アナとイザベルが学校で授業を受けているときに手作りの人体模型(けっこう適当)の「ドン・ホセ」というのが出てくるんだけど、黒田硫黄さんの漫画「南天」(大王 (Cue comics)に収録)に出てくるドン・ホセはこれが元ネタだったのか!と気付いて嬉しかった。
あともう1つ気になっているのが、学校の授業中に女の子が朗読しているのは何だろうかということ。

 青の稲妻(任逍遥)

青の稲妻 [DVD]

青の稲妻 [DVD]

監督:ジャ・ジャンクー
少年でも青年でもない、2人の19歳が主人公。舞台は中国の地方都市。
いまどきの青年*1シャオジィはダンサーのチャオチャオに一目惚れして彼女を追い回している。その友人ビンビンには大学受験を控えた彼女がいる。2人とも無職なのだけど、特にそれを気にする素振りもなく、変わり映えのしない毎日を恋でうめようとしているかのように見える。
冒頭を含む数シーンでオペラを歌い続ける男がでてくるのだけど、2人は彼にあきれつつも、彼のように何かに熱くなりたいと願っているように見える。しかし2人の恋はなかなかうまく行かず、社会情勢は自分達を置き去りに日々変化していく。ニュースがテレビの画面を通じてしか知らされないことは、主人公と社会との距離を象徴してるんだと思う。
その置いて行かれる感じは、中国のような広大で人口も多い国だからこそ、より切実なのかもしれない。原題の「任逍遥」という言葉は「自分のやりたいことをやる」という意味だと映画の中でチャオチャオが語るシーンがあるのだけど、この映画の中に居る人は皆、手をかける場所すらない大きな壁の前に立ち尽くしているようだ。太刀打ちの出来ない現実に対しては、結局虚無感でしか対抗できないのだろうか。シャオジィの「俺は30歳までで充分」という台詞を聞いて、そんなことを思った。
いつかこの監督が彼らの30歳以降を描く事はあるのだろうか。あるといいなと思う。

それにしてもこの監督の映画は映像が凝ってるなと思う。変わってるとかではないけど、最初は見えなかったものが、長回しの中で映り込んできたりすることにちゃんと意味をもたせてる。例えばビンビンが最後に彼女と会うところの長回しは、最終的に冒頭のシーンと同じ場所に取り残されているということが最後にわかって、うまいなーと思った。あと、暗がりの中に滲んで見える色彩もいい。とても好みの映像なんだけど、洗練され過ぎていて題材が浮かないかなとかちょっと思う。

*1:たぶんそういう位置づけだと思う。アメリカかぶれな感じ。パルプ・フィクションに憧れている。

 大晦日?

今日は「ポツネン」の追加公園の発売日だったのですが、追加公演の日付け確認してなくて、最終日、と思ってとったら大晦日だった! とれたのはもちろん嬉しいんだけど、ちょっとびっくり。今年はほんとはじめからおわりまでラーメンズでした。
あと12月はピクシーズの追加公演もあるし、ザゼンもあるし、なんか他にもあった気がするし、楽しみがたくさんあって嬉しいです。なんかまだ年末気分になってないけど。