同僚が持ってきてくれたちらし寿司をふるまわれてはじめて、今日がひなまつりだったということに気付いた。でもひなまつりってそもそも何だっけ、と思って考えてたらそういや主目的は厄よけだけどそういやうちのおひなさまはどこいったんだろう、そしてそれにともなう厄はどこへ…なんて考えつつ食べたちらし寿司は(その間の思考の辛気くささに反して)おいしくて、おかわりまでしてしまった。なんでも厄のせいにすりゃすむってものじゃないです。でも豆はまめまめしい、とか蓮は見通しが良い、とかそういう語呂あわせはわりと好きです。ふんいきだけ。
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そんな感じでのんびりした後は、今日は何が何でも終わらせてやるぜ、と思っていた仕事があったので、かなりまじめに働いた。そして終わらせるつもりだったのが終わったので、いま現在とても気持ちが良いです。でもフロアに一人のときにいきなりブレーカーが落ちて(一部だけ)かなりびびった。PCが落ちなくて助かりました。データ飛んだら泣いてた。
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で、今日のすごい、は通販で頼んだマシュマロクリームなんですが、これ、マシュマロがクリーム状になってるんです。ココアに入れてもよし、パンに塗って食べてもよし。あの焼いたマシュマロが大好きなので、今日はパンに塗って食べてみたのですが焼いてる段階ではまるで焼きもちです(画像汚いけど…)。でもうまーい。あまーい。明日ココアかってこようと思う。冬が終わんないうちに。
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マシュマロウマーとか言って部屋に戻ったらつけっぱなしだったストーブの前にマフラーが落ちてて、ちょっと焦げてた。猛烈に焦った。あぶないです。ごめんなさい。
IKKI3月号
月刊誌ってどうも書くの忘れる…というわけでもう4月号でてますが。
- フリージア/松本次郎
- ずっと面白い漫画だったけど、今視点の主となっているヒサエというキャラクターは、この漫画の雰囲気をかなり、がらっと変えたような気がする。久々に通して読みたくなった。
- 乙女ウィルス/鈴菌カリオ
- メガネの子とギャルだった子のキャラクターが入れ替わっているのに食いしん坊キャラだけがおいてかれてるような気がする。そんなバランス気にする必要はないのかもしれないけど…30時間しかいられないってとこが面白かったので、ちょっともったいない。チャイナの下りはランチョン日記(沙村さんの)を思い出したな。
- 海獣の子供/五十嵐大介
- 水族館がやたら好きだった頃があって、いつかあんなふうに大きな水槽で泳いでみたい、と思ってた。まともに泳げないのに。
- ブランコ/ウィスット・ポンニミット
- 良かった!ブランコ(ヒロイン)がとてもかわいい。そして回想シーンから「今」に戻るこの演出がドラマチックでよかった。連載なのね。楽しみ。でも次のページめくってオレオレ(三代目)でがっくし、とか思った。温度差ありすぎ。
- ぼくらの/鬼頭莫宏
- ついにジアースの形態が変化。この挙動の不自由さがよかったなぁ。もうちょっと引き絵で見たかった。
- 土星マンション/岩岡ヒサエ
- いいです。暗雲もありなんだなこの漫画は。でも三話めにしてすでに空気があるのがすごい。ねがわくばパノラマ画でこの町を見てみたいなぁ。ツボです。地下の町。手を振られるコマにぐっときた。
- 金魚屋古書店/芳崎せいむ
- ひきつづきねこたま堂のおはなし。「孤独のグルメ」と「ハニーハニーのすてきな冒険」。
- SWEEET/青山景
- おもしろい!つか奈名ちゃんはアスカみたいだな。ススムはシンジみたいだし。いや、でもそういう漫画じゃないです。でもこっからが勝負な感じだ。かなり期待。
- フライングガール/笠辺哲
- ライオンが喋れるようになったらというおはなし。キラー・エルザ…過去形ヒドい(笑)
- アングラ・ドール/古屋兎丸
- π以来だったから、久々に古屋さんのこのタッチの絵をみたきがした。すごい。特にスノードーム(スノーじゃないけど)越しの絵がいい。お話も、これ別の絵で見たらこんな感触じゃないかもしれないけど、すごい生理的に受け付け辛いというか、見るのこわいかんじだった。
- ライドバック/カサハラテツロー
- 「昔はなんでも共有できた仲だけど……今はりんが何を想ってるのか全然わからない」というところから、ラストまで、この上村さんの言葉と感情がまっすぐ繋がってるような気がして印象に残った。素直なひとってこういうひとかもしれないとかおもう。
体験する読書、のような
最近、保坂和志さんの「カンバセイション・ピース」を読んでいる。保坂さんの本を読むのは久しぶりなのだけど、でもこれを読んでしまえば、小説では読みのがしているのはほとんどないはずだから、保坂さんは最近あまり「小説」を書かれてはいないのかもしれない(この本だって2003年のものだ)。ともかく、それくらい久しぶりなんだけど、この世界/文章をとても懐かしいと思うと同時に、新鮮だと感じながら読んでいる。
前に集中的に保坂さんの作品を読みあさっていたときも、もちろんすごく面白いと思っていたし、繰り返し読んだ作品もあるのだけど、今では確実に自分の中での受け取り方が変わっている。この本のなかで「思っている」のがまるで「自分」のような気もしてしまうくらい、この私でない他者の視点、に重なるというのがすごく不思議な感触なんだ。例えば今日、
いまではもうチャーちゃんが死んだあの頃ほどの強さで悲しみが襲ってこないことが普通になっていて、私は悲しみから解放されたのではなくて取り残されたように感じるのだ。p155
という部分を読んで、いくつか思い出すことがあって、本を閉じていろいろ考えてみた。
悲しみ、とか悩みとかの渦中にいるときには、この辛さのようなものから抜け出したい、という気持ちも働いているのと同時に、この辛さをわすれてはいけない、とも思っている。特に、何かを失うということに伴う悲しみについては、それを覚えていることこそを大切にしがちだったりもするのだけれど、閉じられていた入り口が開くにつれ、新しいものが入り、混じり、それがなくなるのでもなく薄まっていく。
今の私が、前の私と明らかに別人であって、その思いを共有できないということは、その瞬間ごとの切断面に自分がいるからこそなのだけど、振り返ったときにその距離を見て、「取り残された」と感じることもあるのは、私が切断面だけでなくて、過去の私、に感情移入できるからなのかもしれない。
それと同時に「あの私」と繋がっている場所にいる私は、新しい何かを自分のなかに溶け込ませているからこそ、この本を読んで見えるものが、たぶん発売当時の2003年の私や、保坂さんの作品を読みあさっていた頃の私とは確実に違うのだ。
なんてことを考えるのが、まるでこの小説の語り手の思考と地続きにあるように感じられる瞬間がいくつもあって、面白い。
そんでまた本を開くと、ごく自然にそこに書かれていること、ではなくてそれを考えはじめている。