SLAM DUNK(その1/1〜5巻)

作:井上雄彦

スラムダンク (1) (ジャンプ・コミックス)

スラムダンク (1) (ジャンプ・コミックス)

昨夜から読みはじめました。連載当時はジャンプ読んでたので、もしかしたら10年ぶりくらいか。単行本もすっかり日に焼けてますが面白さは色あせないぜ、というベタな文句をつい口走りたくなるくらい面白いです。
主人公、桜木花道がふられ続けて50人、というシーンからはじまるということはすっかり忘れてたけども、花道のハルコへの忠誠心というか認められたい心は母親へのそれみたいな感じで、思わず「アイデン&ティティ」の「わたしのことマザーだと思ってるでしょ」という台詞を思い出したりした。あのひとりボールを磨く場面のいじらしいことといったらない。そしてそれを主張する屈託のなさ。こういう主人公って最近あんま見ないような。
ともかく、花道には最初から才能がある。それが周囲の寛容さ(辛抱強さ)にもつながっているのだが、まだその使い方を知らない、というのが1巻まで。
根性なし、と罵倒されて、つい意地を張ってしまう花道だけども、2巻の冒頭ですでに反省している。この素直さがまた花道の憎めないところなんだろうなぁ。そんな花道を見守る友人、2巻p23の水戸君にはときめく。こういうのなんていうんでしょうね。でも2巻はそのまま2、3年対1年の試合に突入し、流川のプレイに一瞬目を奪われた桜木が、自らバスケットボールを「選択する」という展開(柔道部の勧誘で)につなげるわけですね。うーん。
そして3巻、庶民のシュート。ハルコとの早朝練習の場面は当時もすごく印象的だった。ハルコの飛んだときの到達点と、花道の位置の違いがね、これまた主人公の方向の定まらない/でも特別な才能を感じさせていい。そしてそのシュートが入ったときの喜びみたいなものが、バスケそのものの楽しさにつながっていくんだな。いいな。この当時私にもレイアップシュートできるような気がしてこっそりやってみたけど全然だったのを思い出した。せつない。
そして3巻後半からはじまる陵南との練習試合。4巻全編通して、試合に出たくても出られない花道のイライラ、そして余裕の仙道…。でも食らい付くゴリと流川とメガネ君たち。そして5巻にてようやく火がつく仙道。
こう考えると、きちんと意図的に山場が分散されたドラマ作りなんだなーと思うけど、試合そのものが、面白く高揚感をもって読める不思議、というのは「茄子」アンダルシアの夏でも思ったことだった。あれの場合はツールドフランスとか見たこともないのに、ルールのわからなさとかを感じさせないとこがすごい、と思ったのだったけど、それはスポーツの展開の中に、きちんとドラマの伏線が絡んでいるからなのかもしれない。試合に出たい、と思いはじめるほかの一年生、とか、負けず嫌いさ、とか、昨日の特訓、とか、そういう伏線がこれでもかとくり出されることによって、ページを捲る手も早まり、自然とルールも理解できた気になれるということかしら。(続く?)
スラムダンク (5) (ジャンプ・コミックス)

スラムダンク (5) (ジャンプ・コミックス)

 現実逃避

ここ最近、ほんと起きて会社行って、行き帰りに本読んで帰宅してご飯食べて日記書いて寝る、というそれだけの生活をしているので、どんどん部屋が散らかっている。その散らかった部屋で久々に買ったクウネルを読むことほどの現実逃避ってのもないよなぁと思ってへこんだ。

 へこみついでにクリィミーマミについて考える。

おとこのことちがう/おんなのこって/すきときらいだけで/ふつうがないの

という主題歌『デリケートに好きして』の歌詞については当時から首を傾げていたのですけど、未だに実感がわきません。好きと嫌いだけじゃない私は女の子じゃないのかとか思ったりしていた全てが自分に繋がる子供時代。
しかも2番の歌詞がすごくて

きょうみないひとと/いちびょうも/いっしょにいられない/わたしたち

いちびょうもってそれひどいなぁ、とか思いつつ、興味ないことと嫌いは違うよなぁということを最初に考えたのはこの歌詞でだった。アニメの主題歌の刷り込みってすごい。
で、やっぱりその後20年近く考えた結果、好きの反対は興味ない(どうでもいい)な気がする。どうでもいいに比べたら、嫌いはむしろ積極的な感情に思えるし、だからこそ嫌いなものには何か言いたくなったりもするんだろうな。どちらにせよ「いちびょうもいっしょにいられない」ってことはないかと思うけど。
でもまあ今調べてみたら、この歌詞の場合は、少し前に『きらいとかんじたら/ておくれみたい』という部分があるので、ここは「きょうみない=きらい」ということになってるのだろうなと思います。嫌いの末に興味ないに行き着くのか。それはあるかもしれない。つまり「興味あると興味ない(使用前、使用後)だけで/それなりはないの」ということか。それもどうだろう。それなら、女の子とちがう男の子には普通があるんだろうか。(ってそういうアニメじゃなかったですけど)普通って何かなー。来るもの拒まず的ななにか。そんなのあるかな。
あっ、もしかしてこれは優(主役)がトシオ(彼氏?)に「はっきりしてよね」という歌詞なのだろうか。きっとそうだ。なんかすっきりした。(いや、まあ結論はでなくてもいいんだけど。今日はなんかどうでもいいじゃん、というようなことを考えてみたかった)
ちなみに『デリケートに好きして』の作詞は古田喜昭さん。「デリケートに/好きして」という語感がもうすごい。
マミ歌の中では「トマトのゆうひ/かかとにあびながら〜」っていうマミのデビュー曲『BIN・KAN ルージュ』が好きだった。