雪沼とその周辺/堀江敏幸

雪沼とその周辺

雪沼とその周辺

雪沼という地とその周辺に住む人々を描いた連作短編集。
堀江さんの文章は、ひんやりとしていて、でもほんのり暖かい。「雪沼」という語感はその雰囲気にぴったりだと思う。
この短編集では、とくに大事件が起こるわけでもなく、風変わりな人が登場するわけでもない。それなのに本を閉じると、匂い立つような生活の感触がじんわりと広がる。それは、それぞれの短編の結びが「決着」ではなく「まとめ」でもなく、何かの延長線上に開けているから、のような気がする。こういう風に「お話」を締めくくる作家さんは実は珍しいように思う。
特に印象に残ったのはレコード店主の蓮根さんを主人公とした「レンガを積む」だった。自分もレコード店で働いていたことがあるせいか、細かな描写にいちいちうなずいてしまう。そして、お客さんを前にした仕事の幸福とは、こういうことだよなぁと、結末に描かれる安西さんの様子を読んで痛感した。

 白い花

雪柳が満開のレストランで、友人の結婚パーティ。十年来の友達で、彼女の結婚にまつわる物語も紆余曲折も葛藤も聞いてきたからこそ、とても感慨深い一日だった。
ずうっと、周囲の人に気を使い続けてきた彼女が、旦那さんを若干雑に(まるで自分の子供のように)扱っている様などを見て、目頭が熱くなる。そしてそんな折に予告なくマイクが回ってきて、頭はからっぽのまんま。何やらはなししたのだろうけど、もう全然覚えてない。
でも結局、言いたいことはひとつで、私の大好きなひとたちが、幸せでいてくれますようにっていう、それだけのことなんだ。

 それはただの気分

ずうっと沈んでいくことで、触ることのできる何かがある。そして、それが生み出すものの魅力を知ってしまうと、浮かび上がることが恐くなる。それが消えてしまいそうで。
でも「沈んでいる」ということはつまり、自分の中に重しを溜め込むということでもあり、その重しをずっと抱えているのは、案外、ではなく当然のごとく重い。そして私はばてた。
それでも、幾度かは確実に触れることができた「それ」が忘れられなくて、私はずっと、完全に浮かび上がれるわけでもなく、かといって沈む勇気もなく、ただふらふらとしていた。
でもついこの間、ふとした切欠で、そのやり方を思い出した。それは錯覚かもしれない。でも、本当にやりたいことなんてそれしかないんだから、いいじゃないかと思う。
嗜める人もいる。人は成長していかねばならない、という人もいる。誰かのために生きることを知れという人もいるし、大人になれという人もいる。
それらの言葉を前に、うん、と答えられたらと思う自分と、その言葉の意味わからないでいる相変わらずの自分がいる。
「さようなら、清らかで賢くてりっぱなみなさん」*1
ビアトリスの台詞が頭をぐるぐるしている。