FAX

FAXってものをまだ見たことがなかったとき、紙が転送される機械ができたと聞いて、とうとうどこでもドアが完成したんだと思った。そして、紙が可能なら、やがて人間だって可能になるだろうと思った。
子どものころ読んだ絵本に、人間の転送実験中にハエが入り込んでしまったためにハエ男になってしまった…というのを読んだことがあったけど、そんな事態を防ぐためにも、まずは分解システムを完成させとかなきゃいけないだろう。ハエ男はその後どうなったんだっけ。
ところで、転送され、分解され、再構成される私は、元通りなのだろうか。すこしづつ、とりこぼされる部分があったりはしないのか。例えば胃がなくなる…とか、髪質がかわる…とか、そんな表面的なことではなくて、私という入れ物に入っているこのデータの部分が元通りかどうかは、どうやったらわかるんだろう。
そもそも、データの部分てなんだ。ドーナツでいったら穴の部分、それは記憶とかそんなものとも違って、私がたまたま私になった、そのたまたまのことなんじゃないか。
本物のFAXを初めて見たとき、私はずいぶんがっかりした。送られてくるのは、向こう側にあるそれではなくて、その複写だということがわかったからだ。もちろん、それはそれですごい技術なのだけど、
この方向でいったらいつか人が転送される機械ができたとしても、それは複写を送るものになるような気がする。私はここにいるままで、私に似た何かが向こう側に届く。途中でハエが混入することがあったとしても、私もハエもここにいるままだ。たまたまは二度ない。
奇術師*1はもしかしたらそういう話だったんじゃないかなとか思った。

 毎日

仕事ではじめて茅ヶ崎に行った。茅ヶ崎といえばやっぱりさー、という想像通りに、タクシーの運転手さんは私が乗り込むとすぐに「桑田佳祐の家知ってる?」「やーほんとそういうお客さんばっかでねぇ」「あっち(海側)とこっち(おじさんの回ってる側)とじゃなわばり違うのに」「桑田佳祐が通ってた定食やとかおじさんそんなんまでしらねーからこまるョ…」などと、文句口調ながらも嬉しそうに語り始めたので、さすが茅ヶ崎だなと思った。
人を待っている間,ロビーの大きな窓をのぞいてみたけれど,海がどちら側にあるのかはよくわからなかった。ただ、背の低い建物が平かに夕陽に照らされている様子は、なんとなく海のそばの街ならではに思えた。とくに根拠はないけど。

「今日が日曜日ってことは、家帰っていっぱいやりながら篤姫見れるってことなのよ」って新宿ですれ違ったおばあさんが言った。
電車で並びに座っていた、お母さんくらいの年代の女性は、隣の友人に小声で「今ぬか漬けがいい具合につかってんの」と耳打ちしていた。
なんか読みたいと思って駅ビルの本屋に行ったら、読んでいるシリーズのコーナーに次に読む巻だけがあった。
代々木上原で地下鉄が地上にあがった瞬間、「こっちのが移動してる感じがするから好き」と、幼い女の子が言って、私も頭の中で、そう思う、と言った。

なんとなく、どこへというわけでもなく移動したい気分というのがあって、今がまさにそれな気がする。どこか、と思いながら目を閉じても、あっというまに眠ってしまうから、目を開いてもそこは同じ場所みたいだ。