- 作者: グレッグイーガン,Greg Egan,山岸真
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/12
- メディア: 文庫
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舞いあがりもしなければ、夢見心地でもなく、海岸に立って海の広さに思いをはせているような気分。それは、図書館で難解な研究論文[モノグラフ]を読みはじめたはいいが、内容をほんの一部しか理解できず、インクや紙のにおいだとか、すっきりと均整のとれた数字や記号の列だとかを鑑賞するほかなくなったときの気分と同じだった、その先に輝かしいものがあるのはわかっているが、それをものにするのがいかに骨の折れる作業かもわかっているときの気分。/「ひとりっ子」p323
「祈りの海」や「しあわせの理由」と比べると、この「ひとりっ子」という短編集は、何といえばいいのかな、とっつきにくく難解だと思う。小説というよりはアイデアのプロット、その切れ味を、とりあえず物語の形に「当てはめた」もののように感じる部分がある。
しかしそれは、小説になっていないとかそういうことではなくて、むしろイーガンの視点を借りること自体を、楽しめる作品集だったと思うし、作者の視点はテクノロジーを通して、常に人間の「心」を見つめている。
その真摯さに、またぐっときて、私は今度こそ長編を読み切ろうと思うのだった。
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この短編集をおおまかに分けると、前半は自分の「意識/意志」に対する疑い、後半(「オラクル」と「ひとりっ子」)は、自分の存在、時間に対する疑いがテーマになっているように思います。そしてそのどちらも、「私」とは何か、ということに繋がっている。
「もし x プラス z イコール y プラス z ならば、x イコール y 。なぜこれは道理にあっているのでしょう? わたしたちがこれをこのような数式のかたちにすることを習うのは十代になってからですが、もし小さな子どもにふたつの箱を ―― 中はあけずに ―― 見せてから、両方の中に同じ数づつ貝殻なり石なり果物なりをいれ、それから子どもに箱の中をのぞかせて、それぞれの箱に同じ数の品物がはいっているのをたしかめさせたら、子どもはなにも習っていなくても、ふたつの箱には最初に同じ数のものがはいっていたに違いないと理解するでしょう。(略)」/「オラクル」p290
例えばこんな風に、一見すると何がおかしいのかわからなくなってしまっているようなこと、を疑い、細い光を辿りながら進んでいくような物語。ここに書かれていることをヒントに、何か面白い想像ができそうな気分にさせられる。
まっさらのフロアを、マッピングしはじめるときのように、途方にくれつつ、この面白そうなものを、ものにしたいな、と思っている。
以下、簡単に感想メモします。――と、その前に、おすすめの感想はこちら
とてもわかりやすくて、すごい。
「行動原理」
人間の脳内にに大量のナノマシンを放出し、神経組織のリンクに作用するインプラント、という設定を通し、人間の行動原理、特に愛情というものへの懐疑、欺瞞、それから求めることの切実さを描いた短編。設定の奇抜さよりも、ラストの、「 “愛” や “悲嘆” の馬鹿らしさを」理解する瞬間の痛みと、開放感が印象的。そして悲しい。
「真心」
この短編にもインプラントが出てくる。今度は「目標とするニューロンに(きわめて限定された)損傷をあたえて、通常の細胞がもつ、現存のシナプス接合の度合いを変更したり新しいシナプスを形成するといった能力を破壊する/p48」もので、主人公は、それを使って妻に対する愛情を不変のものとする。「永遠に好き」を実現するとしたら? というお話。ラストは皮肉。人間の意志と感情が相反することの悲哀を感じさせるお話。
「ルミナス」
冒頭はサスペンス風だけど、ちょっととっつきにくい、イーガン流の数学SF(といっていいのかな?)。ただ後半の盛り上がりは面白いです。ああいう「必死で、キーボードを叩く」っていう場面が好物です。
「もし、ありとあらゆる部類の物理的物体が、それが巨岩でも電子でも算盤の球でも、まったく同じかたちで “イデアにおよばない” としたら…… では、その “およんでいない” ふるまいは、なにに従い、なにを規定しているのでしょうか ―― 数学ではないわけですが?」/p114
この辺は、何か面白いヒントな気がするんだけど、いまいち具体的にイメージできない。もうちょっとほしい。
「決断者」
この作品については少し前に書いた(id:ichinics:20070215:p1)。ここでイメージした言語を視覚化するというイメージと、「ルミナス」の「なにに従い、なにを規定しているのでしょうか」という問いかけは、なんかつながってる気がするんだけど。
これから「心の社会」読みます。届いた。
「ふたりの距離」
「真心」と同じく、恋愛感情を確認しあおうとすることで陥る、行き止まりのお話。「ぼくになることを」*1で描かれた「宝石」がここにもでてくる。他者との関係が限りなく近付くとはどういうことか、そして他者を求めるのはなぜなのか、ということに対する作者の答えのひとつがここにある。
「なにごとも耐えられる――有限であるかぎりは」/p196
こういうナイーブさにまたぐっとくる。
「オラクル」
面白かった。人工知能研究者アラン・チューリングと「ナルニア国ものがたり」の作者であり、神学者でもあったC・S・ルイスが、もしも出会っていたとしたら? …という架空の物語。この二人が公開討論を行う場面は、スリリングでおもしろい。で、あれ、と思って調べてみたら、イーガンはオーストラリア出身なんですね。イーガン作品では、今までキリスト教的な概念をあつかった作品がほとんどなかったように思うので、この作品は新鮮だった。ルイスは私にとってもヒーローだったんだけど、そういえば最初に「ナルニア国ものがたり」の本を私に贈ってくれた人は牧師さんだったなぁ…ということを思い出した。
「ひとりっ子」
表題作。「オラクル」とも少し重なっている物語。
「でもそれは利己的すぎるようにも思える。ぼくをしあわせにしていることがひとつでも、だれかの犠牲の上になりたっていてほしくない。どんな選択も……別のバージョンのぼく自身とゼロサムゲームの賞品を争うようなものであってほしくない」/p342
このように、多世界宇宙論は、主人公を(そして作者にを)憂鬱にさせるものである/あったようだ。そのことの切実さは、いささか神経質にも思えるほどなのだけど、どこか、おこがましくも共感できるようにも思う。もちろん、私はこの主人公ほど誠実であろうともしていないのだけど、でも、自分が加担していることに、ときどきうんざりさせられる。というのもまた偽善であることにさらにうんざりする。
だからこそ、ラストシーンの解放、オラクルとのリンクがドラマチックに感じられ、イーガンの書く物語は優しいなと思ったりする。
関連
「祈りの海」の感想 → id:ichinics:20060322:p1
「しあわせの理由」の感想 → id:ichinics:20061113:p2
*1:「祈りの海」収録