余談

朝霧ふつかめの朝、とても懐かしい人に会った。
というか、正確には、会ったのが懐かしい人だった。
牛乳争奪戦の後だったと思う。不意に肩を叩かれて、振り返って、そこにあった顔が、一瞬誰だかわからなくて、数秒の間があいた。その時一緒にいた友達の彼が、「すげーポカンとした顔してたよ」って言ってたから、私が誰だかわからないでいたのは、相手にも伝わってしまったんじゃないかと思う。もともと、人の顔を覚えるのがちょっと苦手なんだけど、それにしても、好きだった人の顔を忘れるなんて、自分の薄情さもずいぶんだ。
それでも、思いだしたら、一気に懐かしくなって、ポンポン腕を叩きあって、何年振りだろうねって、話をした。顔見てすぐ思いだせなかったのは、彼が自己申告してたとおり、ちょっと太ったからってのもあると思う。でも、私がポカンとしてしまうほどに雰囲気が変わった原因は、何よりもその、柔らかな表情にあった。昔はめったに、笑わない人だったのに、なんでだろうなって思ってすぐ、その謎はとけた。思わず身構えるけど、不思議なくらい「よかったねー」しか出てこなくて、ほっとする。よかった。
もちろん、目の前のおだやかな笑顔みて、後悔や反省がわかないわけではない。けど、それはもう、会ってすぐに笑顔を浮かべられるくらい昔の話で、今の私の気持ちは、よかった、という言葉に嘘をついてない。あ、今の自分てこうなんだって、そんなふうに、会ってみてやっと、あっちと今が、別々にあることを確認できて、なんだかちょっと、あんしんした。
思い出っていうのは、思いだすたびに、だんだんと薄れ、抜け落ちて、まるくなっていくものだと思う。それを美化している、という人もいるかもしれないけど、どちらにせよ、もう手の届かないくらい遠くにある「あっち」側のことなら、良い思い出の良さを、あんまり思いだしたくないことなら、やさしい部分だけを、思いだしててもいいんじゃないかなと思う。もうそのくらい、遠くだった。
手を振る。さみしいような気もする。でもそれは、あの頃の自分が、とうとう別人になったことへの、さみしさでもあるのだと思う。

そんでもまあ、せつないね。せつないなあ、と自分のことで思うのがあまりにも久しぶりすぎて、誰かに報告したくなったのでここに記します。どっとはらい