正月日記

年末、少し雨が続いたけれど、大晦日からは晴天が続いて、外を歩くのが楽しかった。
31日はまだ明るいうちからビール飲んで歩き、夜中には、初詣に行く人の群れに混じって歩いた。肩を寄せあって、腕を組んで、寒そうに歩く人々の顔はどこか晴れやかで、浮き足立った私もついあちこちに顔を向け、人とぶつかっては、ああすみません、いえいえ、というようなやりとりをかわす。あともうちょっとで「あけましておめでとうございます」って、知らない人にも言えそうな気分だった。賽銭箱を遠巻きに眺めつつ、たくさんの人の背中に祈る。
1日は、あともうちょっとで午前中に起きられそうだったけど、なんだかんだ二度寝三度寝を繰り返し、12時を少し回ってやっと起き上がる。一年の計が元旦にあるのならば、今年も私は早起きできないのだろう。起き抜けには、揚げてもらったお餅を食べ、やっぱり正月は餅だよなぁ、なんて思いつつ、おいしくてあっというまに食べ終わる。外に出ると空が青かった。昨日会った人と、一年ぶりみたいに挨拶をかわす。記念撮影をする人々、ベンチに腰掛け囁き声で会話する老夫婦、自転車を漕ぐ警察官のあくび。ゆっくり日が暮れた。

2日は午前中に目覚め、朝早くから電車に乗る。たっぷりとした日差しがもったいなくて、座席には座らずずっと外を見ていた。今日も晴天。昼から、祖父母に挨拶をしに出かける。
足を怪我してからはずっとふさぎ込んでいた祖父も、ずいぶんと元気になって、春になったらまた来いと、何度も繰り返し言ってくれた。先の約束ができるのはうれしい。春になったら花が咲くと祖父が指した庭を眺めながら、右から順番に、木の名前を教えてもらう。背後で祖母が「これカツラなのよ」と言い、振り返るとそれまで髪の毛だと思っていた白髪をずらして笑っていた。
私が幼い頃はずっと外国を飛び回っていた祖父母がこの家に腰を落ち着けたのはちょうど20年前のことだった。たまに訪れる家だからこそなのか、あちこちに小学生の頃からの自分が、うっすらと残っているように思う。松やにのついた柱、祖母の衣装ダンスの家紋、書庫におきっぱなしになっている私の絵本と、黄ばんだいつかのクリスマスカード。いつのまにか私も大人になってしまったけれど、この家で「大人たち」といえば、祖父母とその子どものことであり、「子どもたち」にくくられる私たち兄弟は大人たちの会話が盛り上がってきた頃合いを見て、これまで何度もそうしてきたように、近所の散歩に出かける。公園には凧上げをしているひとたちがいて、空を見上げると電線にゲイラカイトがひっかかっていた。私たちはそれをぼんやりと眺めながら、とぼとぼと住宅街を歩き回り、伸びた影を目安に戻る。戻ってからも、大人たちはずいぶん長いこと話し込んでいて、暇をもてあました弟が腹を出して寝はじめた頃、やっと慌ただしく帰宅の準備がはじまった。「また来なさい」と繰り返す祖父に何度も「はい」と応え手を振る。

弟1と妹と

祖父母宅の台所にあった火の用心コレクション